社会人1年目。
「初任給」と言えばなんとなく特別で、両親にプレゼントを買ったり、自分に形に残るものを買ったり、使い方は人それぞれあると思う。
私は初任給で服を買った。

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社会人1年目の春、友人が紹介してくれた男性とデートに行くことになった。
大学時代はヲタ活に全力で恋愛経験値は低めだった私は、まずデートに着ていく服に悩むことからスタートした。

当時の私はアルバイトで稼いだお金を1人暮らしの生活費とヲタ活に全てつぎ込み、おしゃれは二の次だった。

そもそも水族館デートなんてしたことないから、適切な服装が分からない。推しに会いに行く時用の服はあるけれど、デートとはまた違う。持っている靴はパンプスかサンダル。水族館だったら歩きやすい靴が必要かもしれない。
ヲタ活に全力を注いでいたから貯金はほとんどない。
よし、初任給を使って服を買いに行こう。
そう決めた私は、初任給を握りしめてショッピングモールへ行った。

元々ファッション自体は好きだったので、ある程度好きなブランドや欲しい服のイメージがあって、ショッピング自体はとてもスムーズだった。
少し高いけれど長く使うつもりで、一目ぼれした白いワンピースと、当時流行していたブランドのスニーカーを買った。

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デート当日、お互い電車で行く予定だったので水族館の最寄り駅で待ち合わせをしていた。
ところがデート前日になって、「明日は大雨の予報に変わっている」と彼から連絡が入った。
せっかく新しい服を着ていくのにいきなり雨は嫌だな、と考えていると、「駅から水族館まで少し距離があるから、明日は家まで車で迎えに行くよ」と彼が言った。
初対面の人の車に乗るのはあまり気が進まなかったが、友人の友人だし心配しすぎることもないかと思い、お言葉に甘えることにした。
車で迎えに来てくれた彼が私を見た第一声が「その服、かわいいね」だった。
初任給で買った甲斐があった。

長時間のドライブは会話が続くか心配だったが、趣味の話や通りがかりの商業施設の話など他愛のない話をした。しかしどこかボタンを掛け違えたような、噛み合わなさを感じて居心地が悪かった。
水族館では「ペンギンって飛んでるイメージないけど鳥類なんだって」と彼に話かけると「ちょうるい……???」と呟いたきり静かになってしまった。
私は展示の説明文を見ながら鑑賞をすることが好きなのだが、彼はそうではなかったのかもしれない。少し反省しながら、またどこか噛み合わない他愛のない話をしながら水族館デートを終えた。

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帰り道、行きと同じく長距離を運転していた彼は疲れたから少し休憩をしたいと言った。
少し嫌な予感がしたが、運転してもらってる私に拒否権はないな、と思い直して彼に従うことにした。通りがかりの商業施設の駐車場に車を止めた彼は、「少しの間目をつぶるね」と座席を倒した。

今どのあたりだろうか?疲れているのであれば彼の家をかなり通り越して自宅まで送ってもらうのも悪いから、ここから自力で帰る方法はあるだろうか?そう思いスマホで位置検索をしていたら、いきなり彼に腕を引かれ、キスをされた。

最悪だった。
噛み合わず居心地の悪い空間に次はないかな、と思っていたからだ。
友人に紹介してもらっている手前、強く拒否しづらいし、あまり事を荒立てたくなかったので「元気が戻ってきたなら帰ろうよ」と声をかけて再び出発することにした。

ところが、自宅が近づくにつれて彼が隙をみてはスマホを見ているのが気になった。

悪いことだと分かっていながら、チラッとスマホの画面を見てみると一生懸命近くのラブホテルの検索をしていた。嫌な予感が当たってしまった。とは言え、すぐに車から飛び降りるわけにもいかないし、どう回避するか思い悩んでいるうちにあるラブホテルが見えてきた。
こうなったら拒否の姿勢を見せるしかないと思い、駐車場に入りかけたところで正直に「私は行きたくない」と強めに言った。彼は「なんでダメなの?意味が分からない」と言って、強引に駐車場へ入ろうとした。このまま無理矢理車から降りるか?いや、家まで知られているから逃げ切るのは無理か?もう神頼みでも……そう考えていると、「ガリガリガリ……バキッ」と大きな音がした。
あまりの大きな音に驚いた彼は車から降りた。私も降りて見に行くと、車のバンパーに大きな亀裂が入っていた。街中にあるホテルで入口が狭く、駐車場へ入る為に曲がった時に花壇に引っかかってしまったようだ。「まじかよ……最悪。もう帰るわ」そう彼は呟いて、そのまま家の近くまで送ってくれた。

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その後、彼から恨みのメッセージとたくさんの着信があったのでそっとブロックして彼との関係は終わった。この話をすると必ず「そんなことある?!」と言われるが、本当にあった話だ。私は勝手に小学生の頃に亡くなった、仏のように優しかった祖父があの時助けてくれたのだと思っている。
ただ、その日着ていた服を見るだけで嫌な気持ちを思い出すので、せっかく初任給で買ったお気に入りの服と靴はすぐに捨ててしまった。
ほとんど着ることなく捨ててしまったのはもったいないけれど、今では初任給と引き換えに良い笑い話をもらったなと思っている。