「ねぇねぇ、この柄、かわいい~!」
デパートに行けば、ワンピースに一目惚れして、試着室でキャッキャしたり。
はたまた、「こんなの、食べたことない!おいしい~!」と カフェでお茶をしながら、流行りのふわふわかき氷に舌鼓を打ったり。人々は街をそぞろ歩き、笑い合い、思いきり楽しんでいた。 ほんの3年前まで、そんな光景がそこいらじゅうにあった。そんなことを言っても、小さな子どもたちには、信じてもらえないかもしれない。

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かくいう私も、 「夢でも見ていたんじゃないかしら?」と、スマホのアルバムをのぞいては、いまだに考え込んでしまうことがある。新型コロナウィルス(以下「コロナ」という)の出現は、そのくらい、大きな出来事だった。街からは人の波が引き、歓声も消えた。
そして、あれほど外での買い物が大好きだった私が、外に出たくなくなった。コロナ禍での生活が、確かに私を変えたのだ。

「不要不急の外出を控え、できるだけ、おうちの中で過ごしましょう」
「人と近づき過ぎないようにしましょう」

あの時、突如として、それまでにない行動を求められた私たち。先が見えない状況の中で、世の中は戸惑っていたように思う。そして、それ以上に、緊張感があった。
私の職場では 「職員からも、来てくださる方からも、感染者を出してはならない‼」と、目に見えて空気が張り詰めた。

専門の業者から感染症対策の研修を受けて、新しいルーティーンが加わった。
朝、営業が始まる前に、フロアを一周する。テーブルや椅子から、ちょっとした電気のスイッチまで、徹底的にアルコールで消毒する。それだけではない。午後の業務が始まる前に、 「ご飯を食べたから」と、念入りにテーブルを消毒する。そして、夕方に営業が終わると、すかさずまた消毒。朝と同じことをもう一度繰り返して、やっと1日が終わる。もう、それだけで体力的にへとへとだ。朝から晩まで、いかに感染から身を守るか、考えるべきことも多くて、精神的にも疲れる。

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さらに、外出に制限があったのも、今思えばダメージに違いない。
仕事柄多くの人と接触するので、自分が感染源になるような行動は避けるよう、会社の方針が決まった。おのずと、生活に必要のない遊びでの外出は、なくなった。
そして、しだいにスーパーでも人が多いと感じるようになり、日用品を買いに行くことさえ怖くなってしまった。
私は、文字どおり、職場と家の往復しかできなくなった。そんな自分を、おかしいと思う余裕すらなかった。
「この状況が落ち着くまでは、余計なことを考えてはならない」と、いつ終わるとも知れないそれに耐えることに、必死だった。
そして、1年が過ぎ、2年が過ぎた。いつしか、家から出ないことが、私の日常になっていた。

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時が流れ、国の感染症対策は緩和された。人々もそれに適応し、生活を楽しみ始めた。今や、コロナは世の中に当たり前に存在するものになりつつある。
しかし、そんな変化を手放しで喜べない私は、どうしても横目で見てしまう。
いつでも、誰でも、何かのきっかけで感染するかもしれない。そのことに今も変わりはない。それこそ、私の最も恐れていることだからだ。わざわざ人の多いところに出かけて行くなんて、考えられない。

買い物くらいなら、何でもスマホでポチッとすればいい。そう思うようになった。家にいてやりたいことも、書きたいこともまだまだある。ひと息つきたい時には、おいしいお茶だってたくさんある。

何より、家なら、いつ、何をしようが(家族はいるけれど)人の目を気にせずいられる。緊張しいの私には、この上なく快適な環境だ。考えれば考えるほど、どこかに出かける理由なんてない。それでも生きていけるようになったのは、昔の私と比べると意外な変化だ。

今日も明日も、家にいよう。