突然だがお気に入りの曲がある。
西野カナの「バスタイム・ソング」。
この曲が世に出た頃の私は大学生で、一人暮らしを満喫している時だった。
なんて素敵な歌詞、心地よいメロディー。
まるでセーヌ川のほとりにでもいるような気分にさせてくれる曲である。
カップリングで好みの曲を見つけると、まるでお宝を発掘したような気分になるから好きだ。
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私の家は核家族ではなかったため小さい頃から家族数が多く、おまけに圧倒的に女系家族だった。子供の頃はまだいい。交代しながら洗ったり、テトリスのように隙間を縫って浴槽に一緒に入ったりした。でも成長するとそうはいかない。やれ髪の手入れだの、やれ毛の処理だの、で一人一人時間がかかる。高校の頃は、順番待ちをしている間にうたた寝してしまうのが日常茶飯事だった。
やっと順番が回ってきても長風呂なんてもってのほか、せっかく良い気持ちで出ても「空いたよ」と声をかけた瞬間愚痴を聞かされる羽目になるのがオチだ。いざ長風呂しようと最後に回ったら、あっという間に日付は変わってしまう。
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そんな私のお風呂事情に転機がやってきたのは、一人暮らしを始めた大学生の時だ。
一人暮らしは自由だ。そんなことは分かっていたが、あまりにも自由すぎて戸惑いさえあった。好きな時間に入って、好きなだけお風呂を楽しめる。お気に入りのボディソープも入浴剤も私だけのものだ。たとえ足が伸ばせないバスタブだろうと、掃除も自己責任だろうと、極楽とはこのことだと思った。
こうしてますますお風呂好きになっていった私。
社会人になってからは週の半分くらいはシャワーだけで済ませるようになったが、あくまで睡眠時間の確保のためであって、出来れば毎日バスタブにつかりたいのが本音だ。実際、一ヶ月ほど在宅勤務になったときは毎日のように浴槽を溜めていた。
日々の反動からか、時間に余裕がある日は思うままに長風呂を楽しむようになった。おかげで夜に家族や親友から電話がかかってきて出ると、毎回「もしかして今日もお風呂?(笑)」と笑われることが珍しくない。
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長風呂の定義は人によって様々だろうが、私にとって1時間以上バスタブにつかってからが長風呂だ。私の場合、2時間は余裕でバスタブにつかっていられる。やることは大抵3つ。
カラオケ並みに大熱唱するか、Tiktokを永遠眺めるか、SNSで美容情報を収集するか、だ。
お風呂で歌うのってどうしてあんなに気持ちいいんだろう。自然なエコーによって、とてつもなく歌が上手くなった気分にさせられる。マンションの仕組みは分からないが、もし浴室の声が響いてご近所迷惑だったとしても、これだけはやめられそうにない。
そして、3つ目。SNSにはたくさんの美容垢というものがある。コスメやスキンケアに特化したアカウントもあれば、韓国アイドルの美が詰まった写真、トレンドのダイエットや筋トレ事情etc。
私には気になるアカウントがたくさんあってフォローしても見きれないため、お風呂時間に一気に情報収集することが多い。確実に日々のモチベーションに繋がっているし、人よりちょっと美容に詳しくなれたのもこの時間のおかげだ。
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ここまでお風呂好きをアピールしておいてなんだが、私が言う「お風呂」はあくまで家のお風呂に限る。だから銭湯とか温泉とか、いわゆる施設のお風呂には全く興味がない。いや、むしろ苦手だ。お風呂は一人で自分だけのスペースであるからこそ癒されるのであって、誰かがいる限り全くもって安らげない。かえってストレスになり、気疲れしてしまう。だから宿泊先にどんなに良い温泉があろうと個室でなければ、シャワーで済ませてしまう。大浴場なんて論外だ。
お風呂が好きなもう一つの理由。
それは洗いながら、自分の本音と向き合えるからだ。
「お風呂は命の洗濯」とは言い得て妙だと思う。空気を読んで言えなかった不満も、気が利かなかった自分への反省も、洗っていくうちに不思議とむくむく思い出してくる。洗い流しても落ちきらない汚れもあるけれど、「入浴」という行為の中にある数えきれないタスクをちゃんとこなしたという成功体験で上書きしてしまう。
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どんな1日でも自分なりに一生懸命考えて、その日その時その瞬間の自己ベストを尽くしたんだからそれで充分じゃないか。
だから私は誰も邪魔できない、秘密の小部屋で自分に花丸をあげる。
今日も1日なんとか乗り切って生きた自分へ。
たいへんよくがんばりました。