向き合わずして終わる関係。

今の時代のスタンダードなのだろうか?
あるいは私だけなのかもしれない。

マッチングアプリでの出会いはいとも簡単に手に入る。
その代わり、いとも簡単に失ってしまう。

その痛みには悲しいかな、慣れてしまった。
というより、慣れることでもうこれ以上傷つかないようにしたいのかもしれない。

◎          ◎

なんどもLINEの返信を確認したり、また会えるんじゃないかと夢見たり、もう二度と会えないんだと悲しくなったり。
一喜一憂している一瞬一瞬も、時間は過ぎていく。

はたからみれば何があったかなんてわからない。
画面の中での話のような本当に存在するのかな?とさえ感じてしまう。

だから、出会わなかったことにしよう。
そうやって切り替えたこともなんどもある。

だけど、彼と出会ってときめいた温度は確かに覚えている。

こんなに恋をしているのに、フルネームの漢字さえわからない。
心を深く通わせた気がするのに、まるでこの世にいない人のように、音沙汰なく消えていく。

◎          ◎

どうしてはっきり言ってくれないの?
どうして「もう会えません」の一言をくれないの?
どうしてブロックという一つの動作ですべてを解決しようとするの?

どうして嘘をつくの?

どうしてその気がないのにまた会いたいなんていうの?

どうして。
どうして。
どうして。

「?」でいっぱいの悲しい気持ちは癒されることがない。

ただただ気持ちが和らいでいくのを待つ。
解決してくれるのは時間だけなのかもしれない。

◎          ◎

せっかく出会えた大切な出会いなのに、あまりにもあっけなく終わることに疲れてしまった。

悲しい。

人にその痛みを話せば「日本人は多いよね、向き合わない人、傷つけないようにって逃げる人」「その褒め言葉は社交辞令だったんじゃないかな」「悲しいよね、でもそういうのも多いよね」。

そんな風に言われた。

私はそれが今の時代の”普通に起こること”だということが、どうしても受け入れられなかった。

今でも受け入れられない。
だけど、そういうのを何度か体験すると、もう慣れてしまった。

人として正しいなんて誰にもわからない。

私ははっきりと最後まで向き合い、言葉に責任を持つことが誠意だと思う。

◎          ◎

だけど、人によっては向き合わないことが、優しさとか正義だと思うんだろう。
というか、そういう人の方が多いんじゃないかなと思う。

残念な世の中だなと絶望するけど、向き合うことが怖い弱さがそこにはあるんだろう。
そういう人をつくる教育が日本にあるんじゃないかとさえ思う。

変わった意見を言うことよりも協調できることが評価される。
はっきりと言うことよりも空気を読んで察することが評価される。
いまだにそういう風潮があると思う。

マッチングアプリの登場はそれをむしろ加速させたのではないかな。
便利だし、いい出会いももちろんあるし、アプリを否定するつもりはない。

だけど、アプリ慣れにより失っているものがあるのは確かだと思う。
人との繋がりがあっけなく終わることと言うよりも、あっけなく終わることに何も感じなくなっている、その温度感が異常で悲しい問題だと思う。
そんなことに気づかない方がずっと楽なんだろう。

すべてはなかったかのように振る舞い、また新しい人と出会いにいく。

そこに終わりがあることを信じて。