人生でたった一度、失恋をしたことがある。
その一度の恋を終わらせようとたくさんのことをして、何度もその度にやっぱり無理だと苦しくなった。

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「付き合って」というのはお願いなのに、「別れよう」はどうして半強制的な提案なのだろうか。
でも、そんなこと考えても何が変わるわけでもない。当時の私にはただ、「わかった、今までありがとう」「彼女にしてくれてありがとう」と、素敵な彼女を演じることしかできなかった。

家族の目を忍んで泣いた。嗚咽が漏れないよう、枕に思い切り顔をおしつけるから苦しかった。いくら考えても何も変わらず堂々巡りする現実が苦しかった。何もかもが苦しくて、あれ、恋ってこんなに苦しいものだっけと、また泣いた。

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それからは失恋ソングを聴きまくった。それまではなんで日本の歌の大半が恋愛についてなんだろうと謎だったが、そのときになってみると、苦しさに寄り添う曲も、前を向こうと励ます曲も、こんな私を振った男なんか忘れてしまえと強く開き直る曲も、どれもが私にピッタリで、どれもがいくら聴いても私を救いきってはくれなかった。検索して出てくる曲を手当たり次第に聞いて、そろそろ食い散らかすという感じになってくると、スマホを片手に、彼のLINEを開いては閉じることを繰り返した。

彼はステータスメッセージを定期的に変える人で、独占欲、aloofなどなど私に関係するようなしないような、なんとも絶妙な言葉選びをするのだった。

でも、それが救いになるはずもなく、むしろ彼の言葉一つに一喜一憂する精神衛生上かなりよろしくない状況に陥った。
彼との写真や、くれたプレゼントなども同様に私の心をかき乱すばかりで、ホワイトデーにくれたハンカチは、私の涙を拭くためにあるのか、ハンカチがあるから私が泣いているのか分からなかった。

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自分で抱えるだけじゃダメかも知れないと、ただ1人の親友に話を聞いてもらったりもした。「私は大丈夫だよ」「私は彼が好きだった。人生でこんなにちゃんと好きだと思える人にこんなに早く会えて幸せだよ」「彼のことはアイドルみたいに思ってただけなのかも知れない。かっこいいって。ただそれだけなんだ」「1人でくよくよしても何の意味もないもん」「ほら、私そこそこモテるし、彼と付き合った時だって、他のこの告白お断りしたんだから。大丈夫だよ」

たくさん話した。本音もあれば、取り繕った強がりもあった。親友は全部聞いてくれた。私の支離滅裂で、さっきまでああ言ってたのに今度は反対のことを言う筋の通らない話全てに共感して、時々「あいつめ笑。なつめちゃんを手放すなんて一生の不覚だぞ」と戯けてくれた。

嫌いになりたければ、いくらでもやりようはあったのかもしれない。些細な言動、他の女子と仲良くしている姿、罵倒できる好きなんて探そうと思えばできたはずだ。でも、厄介なことに私は彼を人としていい人だと思ったし、彼を好きな私を好きでいたかった。

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結局恋の終わらせ方なんてわからず、3年が過ぎた。その頃にはもう、胸を刺すような苦しさを感じることはなく、彼の存在が風化していることに、懐かしさと、少しの寂しさを感じていた。

今ではもう5年が過ぎた。相変わらず彼を好きだなとは思う。でも、きっと恋をしているわけではない。あの時好きで仕方なかった彼を、変わらず好きなままでいるというだけ。私は私のままなんだから、それでいい、それが当たり前だと今ならそう思える。

結局私は今も能動的に恋を終わらせる方法が分からない。私はただ、たくさん泣いて、苦しい思いをして、疲れて、いつか綺麗な思い出になることを信じている。そうしていつか、自分がそう願って、信じていたことさえ忘れてきて、ああ終わったのかなと思えるのが強いて言えば終わり方なのかなと思う。
そんな感傷に耽りながら私は久しぶりに彼がくれたハンカチをポケットに入れた。