東京の印象は特に2つに分かれると私は予想している。
「東京はごちゃごちゃして疲れる」と否定的な意見もあれば、「え!東京いいなー、交通は便利で欲しい物はなんでも揃う!」と肯定的な意見も挙げられる。

皆さんはどちら派だろうか?
私は小学校の時から東京に強い憧れを抱いており、東京都民となった今もその気持ちが残っている。いわゆる肯定派だ。大人になり自分のお金や経験などで、東京に行くことや住むこと、働くこともできたが、それでも今もなお東京に憧れといった好印象を抱いているのは何故だろう?と、このエッセイを書きながら疑問に思った。
書きながら自分の理由を整理しようと思う。

◎          ◎

私は東京と隣接する県出身だ。東京都には電車で1時間程で行けたので傍からは「東京近いじゃん」と思われるかもしれない。しかし私からはいつも遠くにある場所に見え、早くその場所に行きたいと願っていた。
東京に憧れ、というより執着していたのは2つの思い込みによるものだと思った。

1つは「東京はキラキラしている」という思い込みだ。
小学校中学年ぐらいだっただろうか、物心つき始めた私たちは自分の持ち物をアピールし始めた。匂い付き消しゴム、キラキラペン、かっこいいシューズ。私の学区域は今でいう「高所得世帯」が多く、一部の子たちがブランドの服を着ていた。
「これ可愛いね!」
「これ?東京で買ってもらったんだ!」
何人かの女子たちが東京で買ってもらった物を自慢する場面を横目で何度も見た。
同い年であるはずなのに、キラキラしていた。羨ましかった。
「自分も東京のものを身に着ければキラキラできるんだ!」
私は親に懇願し池袋で洋服を買ってもらったが、自分が望むキラキラではなかった。
「東京の物を身に着けて、もっとキラキラになりたい」
その頃の欲が今の私のピアス穴や指輪、デパコスなどに出ているなーと思った。

もう1つの思い込みは、「東京に行けば変わることができる」だ。
偶然テレビカメラや雑誌のスナップで発見され有名人となった人。田舎から上京したら一気にキレイになった人。いわゆる「東京ドリーム」だ。

これに該当できるのはごく僅かだと頭では分かっていたが、社会人5年目になっても自分も大きく変われると望んでいた。
過去のエッセイで書いたが、私のこれまでは「超ハッピー★キラキラ!!」とは言い難く、事ある毎に下を向いていた。「変わりたい」と思い整形を志願したり、極端なダイエットをしたりしたが、それでも自分が嫌いな部分が鏡に映ったり、地元で会いたくない人たちと出くわすと、「これではだめだ、もっと変わりたい」と時々思い詰めていた。
「当時の自分よ。個性は1人ひとりの宝物であり、東京がすべて変えてはくれないよ―」
社会人5年目になる自分に寄り添って、この言葉を贈りたい。
それほど思い込むまで私は東京に、人生を一変させる出会い、仕事などとにかく何かを求めていた。新たな自分に変われるのであれば、なんでもよかった。
その年に仕事も住む場所も東京に変えたが、自分の価値観や生活の根本、そして思い込みは大きく変わらなかった。

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これが30歳目前女性が東京に憧れを抱き続ける理由だ。
書きあげてみると「自分の根幹は本当に暗いものだなー」と鼻で笑ってしまった。

「東京が私をすべて変えてくれる」と東京に執着し続けた約20年、結果としてキラキラしている姿にはなれなかった。

しかし憧れだった東京で生活できている。完全に夢を叶えられなかったわけではない、と東京の風景を眺めながら自分を肯定した。
様々な夢や光景を魅せた東京、次は何を魅せてくれるのか?と心待ちにしながら、このエッセイを終わろうと思う。