はじめにすみません、あの服っていうテーマですが、2つの服について書かせてください。

「あの服」で思い出したのは、おしゃれな服でもかわいい服でも、キラキラした恋の思い出がある服でもなく、幼稚園児だったときに幼稚園の先生の真似をしたくて着ていた服だった。

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1つは先生たちがみんな揃えて着ていた「白のポロシャツに紺のキュロット」。想像いただけますでしょうか、非常に地味です。2つ目は、えらい先生(今なら管理職だとわかるが、当時はえらい先生)が着ていた「白のポロシャツにベージュのチノパン」。そうです、こちらも非常に地味です。そんな服を、幼稚園児だった私は「ママ、あれがほしい。先生と同じ服着たい」と母親にせがんだ。
今思うとかなりかわいらしい発想だし、それを着ている私の姿を見た先生はさぞかわいく思っただろうと思うし、小さくてかわいい娘に完全再現ともいえる地味な服を揃えて着せてくれた母親の器の大きさも感じる。あと、子どもにもそのような服を取り揃えてくれていたユニクロにも感謝。

幼稚園は制服だったので、幼稚園がある日にその服を着て登園することはできない。そう、その服を幼稚園がお休みの日に好き好んで着ていたのだ。ふりふりスカートでもなく、花柄でもなく、キャラクター柄でもなく、白・紺・ベージュだ。
だから先生たちに見せる機会もない。それでも幼い私は満足だった。家でその格好をして先生の真似事をするのが楽しくて仕方なかった。
大人になって思い返すと、私の中の「先生への憧れ」はここから始まっていたのだと思う。その先私の将来の夢は、小学生のときは小学校の先生、中学生のときは中学校の先生となった。

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社会人になると、好きな服を着られる機会が本当に少ないことを実感する。

幼稚園から高校までずっと制服の学校に通っていたこともあって、自由に服装を選べたのは大学生のときだけだった。もちろん、好きな格好ができる仕事もある。でもそれは多くはない。

社会のマジョリティはやはり「きちんとした」格好。私はどちらかというとカジュアルな服が好きで、「毎日白Tシャツにデニムでいい」と思うタイプなので、仕事に行くときの服は好きで着ているわけではない。

きっと当時の幼稚園の先生も、好きであの服を着ていたわけではないと思う。幼稚園の先生はみんな若くてかわいかった。かわいい先生が、白のポロシャツに紺のキュロットを喜んで毎日着ていたとは到底思えない。

でも、幼い私はきっと、その「おしゃれじゃない感じ」に心惹かれたのだと思う。そう思うと、きちんとした格好も悪くないものかもしれない。

服装に対する考え方は十人十色。「ダサかわいい」なんて言葉があるんだから、なんだってアリだ。ファッションで自分を表現するのもひとつ。ファッションで自分を偽るのもまたひとつ。そんな私の「ダサ憧れ」服。