私は放課後等デイサービスに就職して二年目の保育士だ。放デイの仕事とは、日々放課後に子供を預かり療育をすることだ。といっても対象は発達障害を持つ子供たち。自分の中での「普通」が覆される毎日に、毎日へとへとになりながらも充実感をもって終える。

一年前までは、自分の中での「普通」が邪魔をして、彼らがどのような特性を持っているのか、なぜここに通っているのかがなかなか理解できなかった。

というのも、私は文系で英語学科を卒業した。発達障害などを勉強してきた人たちとは違って、無知からのスタートであったし、毎日が実習のような感覚だった。

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まず入社して驚いたことは、先述した通り、普通の子供たちには通じるあたりまえな指示が通らないという難しさだった。

「普通」という言葉を再三使って申し訳ないが、それだけ考え方がこんなにも多様にあるのだと考えさせられる子供たちの反応に、日々圧倒され、時には疲れ、心をすり減らすときもあった。
今日一日のスケジュールが何となく分かりきってきて、慣れてきたころ。人は慣れてくると刺激を求めてしまうものだから、たとえ平凡で安定した日々が一番幸せだと分かっていても何か行動を起こしたくなるのだ。

だからこそ、私はずっとここに就職していていいのだろうかと考えることがしばしば増えた。ずっとここにいて、果たして自己成長とは何だろう。子供の教育というのは、本当に果てしない。上司の言葉を借りれば、「砂漠に水を撒くような」広大無辺なことであった。

発達障害だということを理解したうえで、彼ら彼女らをどこまで許すのか。どこまで受容し共感するのか。放デイの役目は何なのか。何を求められているのか。自分のなすべきことは何なのか。

日々自問自答しながら、必死にやりがいを模索した。レクの用意、イベントの用意。夏休みの用意、遠足の下見。落ち着いたと思ったら送迎に行き、落ち着いたと思ったら子供たちのおやつを買いに行き。毎日東奔西走し、落ち着けることはめったにない日々が続いた。

タイムカードを切るときは、マラソンを走り終わったかのようになぜだかゼーゼーしていた。そんな日々に疲れてしまうこともあった。

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一年目の冬、雪が降った日。ほんの些細な理由から、もう限界を感じて退職届を書いた。だけど、一身上の都合で……のあたりで筆が止まった。子供たちの笑顔がこんな時に思い浮かんできたのだ。
「普通」なことがね、通じないから。だから私には放デイでの支援は向いていないんだよ。
そんな言葉を吐き捨てながら友達や家族に何度も相談をしてきたことがあった。

だけど、色々な道があるというのになぜだか、まだここでやれることが残っているのではないかと考えたのだった。

大変な日々も、自分の存在価値が分からなくなった日々も、送迎の帰りで真っ暗になって怖かった冬の運転も、子供たちの些細なひとことが心を救ってくれたりするのだ。

私は今まで何を見ていたのだろう。自分が疲れたという理由で、その疲れを子供にも見せていたのかもしれない。自分で自分の機嫌も取れずに、それを前面に顔に出していたのなら、私は指導員失格なのではないか。

いろいろな考えが浮かんで、もう少しこの仕事を頑張ってみようと決意した一年前から、また同じ季節が来ようとしている。どれだけ成長できたのかわからないけれど、少しずつ子供への声掛けが上手くなった気がする。今日のレクの進行が上手くできた気がする。

そんなことを一歩一歩積み重ねながら、私にできることを精いっぱい花咲かせていきたいと思う。