私の十代は恋愛=趣味で生きてきたタイプの人間だった。だからこそ、学生の頃は絶え間なく好きな人という存在ができていた。

それはその人が本当に好きというのももちろんあったが、そのほうがより人生がキラキラして楽しいし、恋をしているとき特有のすべてが薔薇色に見える日常で私が生きていたかったからだ。完全に、自分を満たすための行為だった。
その中でも細かいものは割愛し、過去に長く好きだった二人との思い出を話したいと思う。

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一人目は、高校三年間をかけて好きだった彼。人は何をもって恋に落ちるのかは人類の永遠の謎だが、彼への愛は今までのものとは格段に違った。というのも、私は彼の「へたっぴな性格」が好きだったのだ。いいところばかりを見て好きになってきた今までの片思いとは違って、自信のなさそうなところや世界を斜に構えているような発言も、だけど時々人の痛みを誰よりも理解しているような発言も、陰ながらのフォローの仕方も何もかもが好きで、好きというよりも「私は君の理解者になりたい」という気持ちだった。ほかのエッセイにこの恋愛の詳細を書いているので、そちらをご覧いただければ幸いである。

そしてもう一つの恋愛が、大学一年の初期に好きだったバイト先の先輩。塾バイトを始めて右も左もわからなかった初回の授業を終えてげっそりしていた時に、どこかから現れて彼が発した「わからないことがあったらいつでも聞いてくださいね」という言葉にノックアウトされて(おまけにクシャっとしたスマイルつきである)、私はしばらく朝起きてから寝るまで彼のことだけを考えて生きていた日々があった。

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バイト帰りに一緒の方向に帰るときには、私は欠かさず自転車を降りた。「今日も一緒に帰りませんか?」と決まって言うのは私だった。謎に徒歩派と言い張る彼のためにわざわざ自転車を降りてでも、一切車道側を歩いてくれない彼に若干もやもやしつつ、今日も卒論がだるいとか就活が上手くいかないという愚痴を永遠と振り子人形の様に笑顔で聞いて帰っていた日々があった。大学一年の初期はそのようにして過ぎ去っていき、高校時代の好きだった彼に告白をしなかった後悔から、もう同じヘマはしないという気持ちで私はその先輩に告白をした。

今思うと、どこまで好きだったのかはわからないけれど、その人との未来をそこまで想像していたのかといわれるとそうではない気がする。ただ、ずっとこの曖昧な気持ちを持ち続けるなら白黒つけてどうにかしようという気持ちだった。そして案の定、振られた。
「嫌いではないんですけどねぇ、ももりんさんのこと。でもぼく就職先東京になっちゃったし……ずるずるいくのもなって」

そんなことをまだ何も始まってもいないくせにいうところも、今更私のことを嫌いじゃないなんて言ってくる所も何もかも嫌いだと思った。なんなら、いつも車道側を歩かせているデリケートのなさも、いつも自分の話が九割なところも、何もかも嫌なところが見えてきた。

私はいままで、なんていい子ちゃんを演じていたのだろう。そしてなんで本気で好きだったのだろう。告白したことですっきりはしたけれど……。そんな気持ちで私は生涯一人でもいいやと腹をくくった。まだ十九歳のときだったのに、片思いに疲れ切ってしまったのだ。

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そうして自分の趣味に没頭していたときに、今の彼氏に出会った。同じく塾バイトで私の隣の席にいた人だった。灯台下暗し、こんなそばにこんなにいい人がもう一人いたなんて、ほかの人に夢中であなたのこと見てもいませんでしたなんて口が裂けても言えないが、初めてしっかり話した時の感動はいまだに忘れない。

「この人は私を見ている」

心からそう思ったのだ。当たり前の様に車道側を歩いてくれて、当たり前の様に帰り道、遠回りしてくれる。私と会話が被った時に、いつも優先して話を聞いてくれる。なんだかそんな扱いをされたことが今までなさ過ぎて、私は感動してしまった。

付き合うなら、こんな人がいいな。いつも自分が相手のご機嫌を取って、相手の理想に近づけるように着飾る日々。そんな日々、疲れちゃう。できれば自然で、まっすぐとこちらに向き合ってくれる人、そんな人に出会えて心から幸せだと思う。
高校時代の彼も、私を振った塾の先輩も今思うと清き思い出だが、私は後世につたえたい。
「着飾る恋、我慢する恋は上手くいかない。その瞳に私がいるのか。私のことに興味を持ってくれているのか。そこを重要視するべきだ」ということ。