選ばれる側になりたいと思った。
運動会の選手リレーで私の名前が呼ばれた時、図書委員長に選ばれた時、私はこの上なく嬉しい気持ちになった。

たくさんの人から選ばれて、私が選ぶ立場であるのが格好いいと思った。
中学受験勉強の時、塾の先生に口すっぱくいわれた。自分が選べるよう、勉強をたくさんしろと。

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中学3年生になって、恋バナの話題が妄想やアニメからだんだんと現実味を帯びてくると、なんとなくモテたいなと思うようになった。誰かを好きになるとか、手を繋いでデートをするとか全く想像できなかったけど、ただ、誰からも選ばれないのは悔しかったし、やっぱり選ぶ側でありたかった。

3年生も中頃になると少しずつ風向きが変わってきた。親友ができて、はからずしも社交的で明るい印象に変わったのだろうか。なんとなくある男の子からの好意を感じるようになった。でも、私はその子に恋愛感情を抱くことはできなかった。結局、不慣れな私があからさまなごめん避けをしてしまったせいか、はっきりとした告白はされなかった。私は誰かから選ばれたのを嬉しいと思った。

程なくして、また誰々が私のことを好きらしいという噂が流れた。今度は3人だった。そのうちの1人は私も気になっていた人だったから本当に嬉しかった。選ばれて、選ぶ。まさに私が望んだ展開だった。

でも、私は未熟すぎた。考えられなかったのだ、選ばれなかった人がどれほど苦しい思いをするのかを。
直接告白してくれた1人には、相手が深掘りしないのをいいことに「ごめん」の一言しか言えなかった。

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LINEでよくやりとりしていたもう1人はデートに誘ってくれていた。きっとそこで告白されると思った私は、「ごめん、いけない」と伝えた。「そっか、じゃあ別日ならいつが空いてる?」。薄々気づいていたのだろうが、その子はあくまで明るく取り繕った。「ごめん、2人では、いけない」

LINE越しでもその子が悲しんで、泣いているのがわかる気がした。
何度かやり取りをして、その子は私のためにと「謝らないで」といった。「あいつも嫌だろうし」と。
謝るのがいいとは限らないと知った。ごめんと言って救われるのは私であってその子ではない。口では「大丈夫」と言いながら、恋敵を「あいつ」と呼ぶ、滲み出る苦しみに思い知らされた。

それから両思いだった彼と付き合ったけれど、最終的に振られてしまって、やっと自分ごととして4人の気持ちがわかった気がした。

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あれからも何度か想いを寄せられることがあった。私は断り方に慎重になった。好意に気づいた時点でその気がないなら無駄な愛想を使わない。波が立つからと食事のお誘いに無闇に応じることもしなくなった。周りは私を薄情だと言うかも知れない。

でも、私は思うのだ。恋を終わらせるのは、できるだけ早い段階の方が傷が浅くて済む。恋を終わらせることができるのは、本人ではなく、想いを寄せられた側のことも多いのではないかと。

今は私も大人になったつもりになっているだけかもしれない。何年かして、もう少しいろんなことを経験すれば、未来の私はきっともう少し肩の力を抜きなさいと言うのだろう。

ただ、今は他のやり方を知らないから、不器用なりに私は薄情であるのだろう。
私を好きになってくれた全ての人に感謝を込めて。