誰にだってしたくない夜更かしも、ある。
私にとっては自分の「愛」について考える夜だ。

人を愛することができない。

その言葉を私はある時から、事あるごとに使うようになった。眠れない夜は特に。ある時がいつかは明確にわからないし、この言葉の正しい意味もよくわからない。でも使う。

自己防衛のために。

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私は人から愛されるタイプの人間だと知っている。そうやって演じているから。いつでも極力笑顔で、自分が辛くても悲しくても笑顔で振る舞う事。それが人から愛される条件だと、子供の頃からなんとなく知っていた。笑顔でいることは、私の中で義務に近い行為になっている。親を心配させないため、周りに気を遣わせないため、そんな健気な理由だってある。

笑顔でいないと、私じゃない。笑顔でいるから、皆に愛される。
アイドルみたいだ。

でも言ってしまえばそうなんじゃないの?って思う。愛されるためには、相手に何かを捧げなきゃいけない。それが私にとっては笑顔で可愛くいるということだった。

アイドルって虚像だと思う。

私が人を愛することができないと言い張る理由はそれ。人は皆、私の虚像を愛してるから。きっと皆はそんなことないよって言う。その通りだ。しかも誰だって、人に自分をある程度はよく見せようとするんだから、誰だって虚像になっているのかもしれない。それでも私は、自分に対して絶望的に強くそう思うようになってしまった。誰も本当の私を見ていない。見ようとしない。私自身が、見せようとしていないのかもしれないけど。でもじゃあ、見せようとしない理由はなんなんだろうか。

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人が離れていくのが怖いから。愛した人が、離れていくのが怖いから。傷つきたくないから。だから人を愛することができない。
きっとそういうことなんだろう。幼稚な原動力は、こうやって素直な言葉に変わっていく。

つまり私は、簡単に言えば臆病者。強がりな臆病者。鎧を身につけて見栄えのいい、でも中身は痩せ細った身体で、外面を支えるのに必死になっている。愛されたいのに臆病で、愛することができない。

そして、愛されてるのに、虚像を愛されてるとしか思えない。言葉にすると私はとっても可哀想な人間だ。肯定感が低いというより、いびつな方向に行ってしまった。

見返りなく男の子に恋して突っ走っていた学生時代も間違いなくあった。一人っ子で寂しがり屋な私は人が好きだから、彼氏だって好きな人だって、友達もたくさんいた。最近まで付き合っていた彼氏も、愛してくれていた。それでも私は、ある日から、もう満たされなくなった。真っ当な愛だけじゃ満足できなくなった。肯定の言葉じゃ、足りなかった。

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そしていつからか私は、私を見透かして、傷つけてくる人を愛おしく思うようになった。愛は擁護ではなく、攻撃だと。褒められたり、可愛がられたりが殆どの私の人生には、私を傷つける人がほとんどいなかったのかもしれない。覚えていないだけかもしれないけど。自分をナイフで刺すような人間を、愛しく思うようになった。自分を刺してくるこの人に愛されるためには、どうしたらいいんだろうって純粋に考えられるから。

好きと言ってくれる人には、あまり興味も持てなくなってしまった。とりあえず、私は愛の定義がいびつになった。

多くから愛されていそうなイメージを持たれる私は、他人から見たら羨ましがられるだろう。憎まれたこともある。私の自己プロデュース能力の高さは、わかっている。その上で、そんな私のことも好きでいる。だけど、あるとき突然無性に満たされなくなる瞬間が来る。さあ、私はどうしたら愛を手に入れられるのか、幸せになれるのか。その疑問に立ち返る瞬間が幾度となく夜を占めていく。

そんなふうにのらりくらり、自分にとっての「愛」の価値観を推し量る夜更かしは、結構きついんだぞ。と誰に対してかは分からずともそう言いたくなる辛さを秘めている。その頃にはもう朝日が昇り、夜更かしの強制終了を命じてくるのがいつものことだ。

それでも。考え続ける自分の脳が死んでないだけマシだと思って、夜を駆けていく私に、どうか拍手を。