コーヒーが私の日常の中に入ったのはいつだっただろう。
みんなそうであるように、子どもの頃は苦くて飲めなかった。甘いコーヒー牛乳は牛乳が苦手な私の救世主だったが、あれはコーヒーの仲間とは思っていなかった。今思うとコーヒー牛乳は「牛乳が飲めない私」と「コーヒーが飲めない私」を同時に成長させた最強ドリンクだったのかもしれない。
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大人になった今、甘いコーヒー牛乳は苦手だ。基本ブラックで飲む。ミルクを入れるときも甘みは加えず、ミルク本来の甘みで十分だと感じる。味覚は本当に大きく変わるものだ。
大学生の頃、ブラックコーヒーは眠気覚ましの薬みたいなものだった。良薬口に苦し。
それをしているうちに、「おいしいブラック」と「おいしくないブラック」の違いを感じるようになった。
そして私は大学生前半、1人でパンケーキを食べ歩くというソロ活に勤しんでいた。そのときに、スイーツとコーヒーのペアリングを知る。当時付き合っていた恋人もスイーツ好きで、よく「とびきりおいしいスイーツ」を食べた。そのスイーツをさらにおいしくするのは、お水ではなく、甘いドリンクでもなく、苦いブラックコーヒーだった。
甘いものとしょっぱいものが無限ループできるという話はよく聞くが、私は甘いものと苦い飲み物も無限ループできると思う。若い頃は甘いものだけでも永遠に食べられたものだが、アラサーになった今、コーヒーなしでは甘いものを受け付けないまでになってしまった。年を取るとはこういうことですか?
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社会人になって、スターバックスのヘビーユーザーになった。学生の頃もたまに利用していたが、その頃のスタバは「フラペチーノ屋さん」であり、「コーヒー屋さん」ではなかった。
社会人になって、カフェでゆっくりする、という時間の過ごし方を知る。家にいてもダラダラしてしまうだけ、でも何も予定がない、そんな休日にはよくカフェに行って本を読んだ。いつでもできるのが読書のいいところだが、いざいつでもできるとなると後回しにされがちである。財布と本、ときにはスマホも持たずにカフェに行く。満足するまで読書をして帰る。このときの多幸感たるや。
コーヒーは、忙しい仕事の中で一息つくためのスイッチにもなった。朝礼前に飲むコーヒー。10時頃おなかがすいてしまったのをなだめるためのコーヒー。夕方の、あと一息のコーヒー。すべての仕事を終えて帰る前のコーヒー。いろいろな場面でお世話になった。この特別な役割はブラックコーヒーにしかできないのだ(と私は思う)。
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今となっては、豆の産地や焙煎方法、抽出などの違いがあり、一言にコーヒーといってもその奥深さは計り知れない――ということを知っているが、正直な話、最近までずっとインスタントで満足していた。ただ、インスタントの進化もめまぐるしいのだろう、なんでもいいというわけではなく、これ、というインスタントを選んで買っていた。(ちなみに私の推しは「ちょっと贅沢な珈琲店®」です)
スプーン1杯の粉にお湯を注ぐだけ。それだけで生活に大事なものを取り入れることができるなんて、なんてコスパがいいのでしょう。
私のコーヒーライフはこれからもっと素敵になっていく予定。
初対面の印象が悪いやつほど仲良くなったりするもんね。