愛を育む。

それは素敵で尊くて、時には苦しくてその苦しさが愛しくて。

様々あるだろうが、少なくとも当事者にとって幸せな時間であると私は信じている。
しかし、それが永遠とは限らない。

どんなに好きで、人生を共にしたいと思える相手も他人であることに変わりはない。
自分の尊厳や人生が脅かされればその愛はいとも簡単に終了する。
長い時間かけて積み上げてきた信頼も好きという感情も「別れよう」ただその一言で全て終わってしまう。 

そしてその瞬間から世界で1番だった人は、世界のその他大勢となる。
脆くて尊くて大好きで大嫌いな恋愛、私にももう一度できますか?

◎          ◎

 一番目に好きになった人とはうまくいかない。
恋愛や結婚について調べると、どこかしらで出てくるこの言葉。

相手に良く見せたいから素の自分でいられなくなり苦しくなる。
たしかに、物分かりのいい彼女だと思われたくなくて無理した結果ある日噴火したかのように不満が溢れて止まらなくなった女が私だ。
大好きよりも自分の尊厳を守らなければという本能が打ち勝ち、逆に大好きだったその人の尊厳を踏み躙るほどに言い返した。

その直前に結婚したい、今度両親に会って欲しいと言われたが、今思えばその言葉がトリガーだったように思う。

◎          ◎

結婚したいと思うのはこの、物分かりのいい私とであり、普通の私ではないのだと。
もちろんそう見せてきた私の落ち度でもあるのだが、なぜだか無性に腹が立った。

私は物分かりのいい女を演じるために、自分を殺してきたのだから。

これまで溜まった不満を爆発させたが、自分から結婚といった言葉を使った手前当時の彼氏は決して別れるという言葉を私に使わなかった。

しかし明らかに疲弊していたように思える。
私は私で今まで溜まった不満を撒き散らしては、そんな自分が汚くて自己嫌悪に陥り
二人とも限界だった。

「もう、別れたい」

「うん、分かった」

たったその一言を交わしただけで私たちの積み上げてきた時間は終わった。
  付き合えた時の嬉しさも楽しい思い出も、全てが無に帰った気がした。
  泣くことはできなかった、自分から切り出した手前、泣くことは許されなかった。

◎          ◎

人を好きになりたいとは思う。

けれどもう2度と、あんな辛い思いはしたくない。
次付き合う人とは生涯を共にする人がいい。

そんな強い自衛意識が、私が恋が始める前に終わらせるようになる元凶だと言える。
職場の先輩や友人から、私のことが気になる人がいると紹介されてもどうしても乗り気になれないのは、その人と人生を共にしていける自信がないからだ。

一昔前より結婚離婚へのハードルが下がっており、人と付き合うこと自体随分フランクになっているこのご時世において、付き合う前にその先まで考えるのは重いかもしれないが私はどうしても失敗したくない。

だから、定期的に人肌恋しくなり、マッチングアプリに手を出してみても、すぐにアンインストールしてしまうのだと思う。

◎          ◎

誰かに愛情をもらえているということは自分に存在価値を与えてくれる。

自分で自身の存在価値を勝ち取りにいくよりずっと無責任で、曖昧でずっと楽だ。
そうして逃げたくなるたびに人との別れに視点をおいて恋愛を先に終わらせる。
そんな寂しさを埋めるように、狂ったように自分の価値を自分で勝ち取りにいく。
独身貴族まっしぐらなループに私はいるのだと思う。

どうやって人を好きになっていたかも思い出せない。

始まる前に終わる私の恋。

いつかこのループを抜け出す日が来るのだろうか。
そんな気持ちで人肌恋しくなる季節を迎える。
今年は誰かと生涯に一度の恋がでいることを願って長袖に手を通す。