「もう6時か」
カーテンから漏れる日差しに部屋全体が淡い光で包まれ、急激な眠気に襲われる。
MacBookをサイドテーブルに置き、アラームを8時にセットし夢の世界へ。
私の休日は、夜更かしから始まる。

私の趣味と呼ばれるものは、人との接触の上に成り立っていた

「あなたたちは、明日から2ヶ月間、自宅待機となります」
2019年の冬に感染が確認されて以降、あっという間に世界中に広まったコロナウイルスはとどまるところを知らず、現在も世界中で猛威を奮っている。
2020年4月1日、コロナ第一波の中なんとか執り行われた簡易的な入社式。
「入社おめでとう」と「自宅待機」という本来交わらないワードが行き交う、記念すべき日となった。約2ヶ月、まともに会話をしたのはスーパーのレジのおばちゃんだけだっただろうか。

毎日大学で誰かしらと話し、休日も友達とランチをしたり、甥っ子に会って遊んだり、以前の私の趣味と呼ばれるものは、人との接触の上に成り立っていた。
そんな生活を全否定され、社会に馴染む間もなく、ほぼ人との接触がない生活を耐え忍んだ。
自宅待機が解け、出社できてもなお、状況は悪化回復を繰り返しながら目まぐるしく変化していった。新しい環境で、かつ、人との接触が制限された無趣味の生活は確実に私の精神を蝕んでいった。

会社でできないならプライベートで。創作活動の世界へ

入社して約3ヶ月、夜は鬱々とした気持ちが広がり、浅い眠りを繰り返すようになった。
その結果疲れが取れず、さらに鬱々とした夜を過ごすというサイクルに陥っていた。
「最近疲れてる?」
まさか職場の先輩に心配されるとは思っておらず、ようやく限界が近いことを自覚した。
このままでは良くないと、限界を迎える前に、ようやく趣味探しの旅に出たのだった。

1つのジャンルに固執せず、興味を持ったものはなんでもやってみた。
ある時はインテリアにハマり、「IKEA」や「Franc franc」を彷徨う日々を過ごし、またある時はスポーツウェアを一式揃え、毎朝ランニングに勤しんでみたりもした。
他にもいくつかの趣味を通ってきた中で、瞬間的な楽しさを味わうことができたが、長期的な趣味に繋がるものはなかった。
そしてつい3ヶ月ほど前、私は創作活動の世界へと足を踏み入れた。

きっかけは、私が中心だったはずの会社の企画が頓挫したことだった。
上層部からの指示で突如として終わってしまったそのプロジェクトへの想いが溢れて、会社でできないならプライベートでやってやろうというところからスタートした。
デザイン制作やアイデアの提案など、一通りの創作活動を経験し、現在の私は休日の真夜中に曲を流しながら「物書き」をするという趣味にハマっている。

今なら書かなくてもぐっすりと眠れるかもしれない

小説は、仕事や人との関わりの中で溜めてきた脳の引き出しをフルに開けて、自分ではない誰かの人生を創り出すというところがとても魅力的だ。
エッセイは自分の人生を振り返り、整理できるところがエッセイならではである。
現在もこうしてエッセイを執筆するのと並行して、いくつか小説を執筆しているが、生活音もほとんど聞こえない夜中というのは、誰にも介入されず、ただただ自分の世界と向き合い、創造することにとても向いている。
以前は孤独で鬱々となりがちだった夜中も、物書きを通して、アイデアという星が光る、満点の夜空の世界へと変えていったのだ。

コロナとの共存へと世界が動き出し、以前よりも人と会う機会というのは格段に増えた。
仕事や人間関係も概ね順調の今、もしかすると、今だったら物書きなしでもぐっすりと眠ることができるかもしれない。
ただ、こうしてコロナがあったからこそ出逢えた新しい世界。
人に依存しない、自分だけの自立した趣味として今後も自分の世界を広げる1つとして、長く付き合っていきたい。