あれから11年がたった。15歳のわたしは、電車の乗り方すら知らなかった。
渋谷行の電車のホームで、渋谷への行き方を尋ねていた。

26歳になったいま、その“渋谷”でわたしという人生を動かしている。

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高校1年生の春、東京に来た。「東京の高校を受験しよう」。母がそう言ったのは、中学3年の夏だった。東京に行かないと可能性が広がらない。上京という提案は、わたしの将来を案じてのものだった。高校1年で上京。世間からしたら、その選択は奇妙だろうか。なぜか当時のわたしに抵抗はなかった。祖父母が都内に住んでいたこともその理由の一つだった。しかし一番は、東京で見たことのない景色を見たい。心の中でそう思っていたからだと思う。とはいえ、冷静に振り返るとすごい。なかなか肝が据わっている。街に駅が1つしかない田舎で育った15歳が一人、東京に行く。毎日学校のジャージで通学していた中学生が、ひとり、東京で女子高生をするのだ。今考えると、わたしの人生の最大のターニングポイントだった。

東京ではじまった華の女子高生生活。さすが東京だった。同級生の女の子たちは、まるでOLのようにあか抜けていた。誕プレはデパコス。キラキラしたインスタ。有名なパンケーキ。放課後の渋谷。ここでは、山も川も越えなくていい。ただ、電車に揺られるだけで、あっという間に若者の中心地。この前までテレビで見ていた場所には、1時間もあればどこでも行ける。ずっと遠くにあると思っていたものは、ずっと近くにあった。ここにいれば、何も手に入れていないのに、すべて手に入れた気がした。もうわたしは、東京の人だ。ただ東京に来ただけなのに、そんな誇りすら感じていた。そして、東京は時を忘れさせた。気が付いたら高校と大学を卒業し、嘘のような時間軸で社会人になっていた。 

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新卒では、世間が言うホワイト企業とよばれる会社に入社した。友達は会社の名前を出せばすごいねと言った。でもわたしは嬉しくなかった。本当は、広告の仕事をしたかった。でもそんな気持ちは、まわりの評価が上書きした。お台場のオフィス。20階からの夜景。平均以上のお給料。これでいいんだ。わたしは、東京で生きている。

そんな社会人1年目の終わりに、祖母が亡くなった。灰になる祖母を横目に母が言った。「人生はどう生きたっていいのよ」。そんなこと知っている。分かっている。そう思っていたはずなのに、急に不安になった。わたしは、何をそんなにこだわっているんだろう。まわりからのすごいねという声?オフィスの場所?お金?いま、本当に幸せ?東京に戻る電車の中、そんなことをずっと考えていた。

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東京に戻ってきてからも、そのモヤモヤは消えなかった。東京で生きていくには、それなりの会社の名前とお金、それがあれば大丈夫だと思っていた。だけど違った。大切なものを見失っていた。それは、「わたしという人生」。東京に染まったつもりで、東京に飲まれていた。

ここには、親もいない。実家もない。わたしがどこから来た人で、わたしが誰かなんて興味はない。だからたまらなく心地いい。たまらなく寂しい。東京は小さな部屋であり、大きな舞台だ。わたしの人生を見つめられるのは、わたしだけだ。23歳の冬、本当の意味で、東京を感じた気がした。

それから4年たった今、わたしは渋谷の広告会社で働いている。お台場の夜景も、平均以上のお給料も失った。それでも、いまわたしは幸せだ。わたしは誰で、わたしは何がしたいか。それを自分で知ることができたから。だから、わたしは都会に染まらない。「わたしという人生」を生きていく。それが、たまたま東京なだけ。