いまでも忘れられない。

6月の夕方、土砂降りのなか、ひとり必死に涙をこらえて六本木駅のタクシーに乗った。向かう先は、もう彼の家がある渋谷方面ではない。反対方面の実家に戻った。

仕事終わり、いつも彼に会えるのを楽しみにしていた。仕事が終わったら彼に会えると思うと、朝少し早起きして、お気に入りのブランドDiorで時間をかけてメイクをし髪型を整えた。夜は彼に会える、彼と食事ができる——と思うと、朝から自分らしく弾けていたのを覚えている。好きな人ができると、こんなにも日々が彩られていくなんて、社会人になるまで知らなかった。

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彼と私は陰と陽のような対照的な性格だった。私は周りからも「明るいね」といわれていて、どちらかというと外見をほめられることが多かったのもあり、洋服や化粧品にはこだわっていた。時折、「なんでいつもブランド服ばかりなの?」「他のカップル、だんだん服装が似てくるよ」と言われたりもした。そう言われては、「いいじゃん、別に」「自分の方が稼いでるのに?」と冗談混じりに切り返したりしていた。本当は、彼の前ではベストな姿でいたい、彼の友人たちから褒められる彼女でいたい、なので見た目で妥協したくないという思いで洋服選びをしていた。今だから本音をいうと、2人の姿をみた時、彼の周りから「彼女、美人ですね」といってほしかったのもある。

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私は見た目がしっかりしていて、一応英語を使って仕事をし、でも彼の応援もできる自立したいい女でいたい、と思って彼と接していた。一方で、私は彼を無条件に好きで、食事のたびに仕事や人生の相談にのってもらうと、「あんな優秀な彼が、私のためにこんなに親身に相談にのってくれるなんて」と毎回心が誇らしく晴れやかになったのを覚えている。カリスマ性のあるあんなに優秀な彼が、私そのものを応援してくれる———その嬉しさといい快感といい、当時の自分にとっては魔法のように感じた。今思うと、成熟というより浮き沈みの激しい刺激的な恋愛だった。

だんだん自分のために、というより彼を優先してしまい、忙しさですれ違いが起き始めると、もっと安定が欲しいと思うようになってしまった。彼と一緒にいる時の自分で、素の自分が好き、といえるようなそんな相手や関係性をのぞむようになった。彼に合わせ、どこか根が明るい本当の自分を隠しながら一緒に過ごすことに、窮屈さを感じるようになった。

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「一緒にいることで、お互いが120%開花できるような関係性がいいと思ってる」。多分、はじめて本音をいい、初めて彼も最後まで私の話を聞いてくれた。

私は明るい、私は心を許すと全然しゃべらない。今度は、それを許して一緒に過ごさせてくれる人がいい。そう思って、六本木のレストランで、彼に感謝とお別れを告げた。私も幸せなので、彼ももっと幸せでいて欲しい。できれば、1200km離れた土地で、ポテンシャルを開花させてくれる素敵な人と一緒に過ごしているといいな。