10年付き合っていたパートナーと今年、お別れをした。

人生で初めて、円満な別れ方をしたから、どうしてそうなったのかも含めて書き記していきたい。

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恋人との出会いまでぎりぎり10代で、何もかもが楽しかった。恋人同士ができる様々な楽しいことをしたと思う。特別な誕生日パーティーとか手作りの料理とか。心躍る日々を過ごした。それに、初めて『嫉妬』という感情も抱いた。恋人が別の人と二人きりで出かけるのを見て苦しくなることもあった。それがうまく伝えられず、このまま別れてしまうのではないかと思ったことすらあった。

本当に、たくさんのことを経験して、たくさんの感情を抱いた。

気持ちの変化があったのは、数年前だったと思う。互いに社会人になってそれぞれが、それぞれの生活に追われる中、会う頻度はぐんと減った。それでも電話をしたりメッセージのやりとりをしたり、細い糸をなんとか繋いでいる状態だった。

いつか一緒に暮らそうとまで約束をしていたのを今でもはっきりと覚えている。けれど、現実はそんなに優しいものではなかった。物理的に離れた距離は、相手の心を見えなくしてしまった。もちろん、こちらのことも相手に伝わらなくなっていった。仕事でどんなことがあったとか、病気が再発したとか、そういうことが上手く言えなくなっていった。減っていく繋がりの中で、どうしてもマイナスな報告はしたくなかったからだ。このマイナスが今の自分の真実だったとしても。

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だから、言い出せなかった。お互いに仕事を辞めざるを得ないほど気に病んでいたことも、家族との折り合いが悪くて急いで家を出ないといけないことも。ある日、久しぶりに電話をしたとき「実はもうすぐ家を出るんだ」と言われたときは、ドキリとした。一緒に暮らそうという言葉だけでなんとかやってきた節があったから、恐る恐る理由を聞いた。

そうしたら、家族との折り合いが悪くなってしまったとのことだった。そしてそのことを何度も私に言おうと思ったが、なかなか言い出せなかったと謝罪もされた。謝られることなんて一つもなかったけれど、恋人の「今」のことを私は全く知らないのだということを知った。

このときの私は、恋人に対して「恋」をしていたのだと思う。遠く手の届かない場所にあるものに焦がれるような気持ちを抱いていた。

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それからしばらくして、私も一人暮らしを始めた。そうしたら途端にわかったことがあった。自分は誰かと一緒に暮らすことが向いていないということ。自分のプライベート空間を誰かに見られるのが嫌で、物音や汚れなんかに敏感であることがわかった。笑ってしまった。

結局は一緒に暮らすことなんてできやしなかった。それから私は、相手のことをただただ「愛した」これが恋から愛に変わった瞬間だった。恋人が、どんな形であっても幸せならばいい。そこに私がいなくてもいい。この生きづらい世界で、なんとか小さな幸せをみつけて暮らしてくれたら。そう願う日々が続いた。

そして、その日はきた。

恋人から「ちゃんと話ができなくてごめん」という文面から、電話をすることになった、互いにまだ好きなのだけど、これはもう恋ではなく愛であると確認し合った。相手も、いつしか私に対してそう思っていたみたいだった。二人で笑った。早く言えばよかったね、と。

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私は言った「あなたが誰と一緒になってもいい。幸せなら。でも結婚式はいかない」

相手もいった「そうだね、自分も万里の幸せを願う。けど結婚式はいきたくない」

久しぶりに思い切り笑った。恋は愛に変わり、互いの幸せを想いながら私たちの恋愛は幕を閉じた。

たくさんの感情を教えてくれた元恋人に、精一杯の敬意を込めて私はこの文章をここに残すことにする。