私はお風呂が好きだ。幼い頃から家の風呂だけではなく、銭湯や温泉を嗜めていたくらい好きである。気分で入浴剤を選ぶ、湯船の中でマッサージをする、汗をかきながら本を読み込む。きっと他にも色々な楽しみ方を発見できるだろう。

しかし、そんな風呂好きな私は、風呂掃除が嫌いだ。風呂掃除は、おそらく毎日行うのが好ましいものだろう。しかし、「できない」と「やりたくない」という気持ちがセットになり、風呂掃除が疎かになっている。どちらかといえば、「やりたくない」という気持ちが強い。

風呂掃除が嫌いになった理由があるのだ。

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小学校低学年の頃、母に「風呂掃除をして」と頼まれた。当時から料理や洗濯物などの家事をいくつか手伝ってきたが、風呂掃除は初めてだった。しかも、私ができるものだと思ったのか、母は風呂掃除の仕方を教えてくれなかった。私もやり方を聞く、という発想が持てなかったため、とりあえず風呂掃除に着手した。

風呂掃除といえば、「千と千尋の神隠し」の湯屋のシーン。バスタブに入り、ゴシゴシするイメージ。滝のようにお湯を流すシーンも印象的だった。それを再現しようとした私は、袖と裾をまくり、バスタブ上の水道から水を流した。そしてバスタブに入り、石鹸をつけたタワシか何かでゴシゴシこする。正しい方法かは分からないが、当時の私の精一杯の風呂掃除だった。

様子を見にきた母が、声を荒げた。「何やってるの!?」「何でできないの!?」一方的に叱られた。私はただただショックだった。風呂掃除を頼んだのは母で、やり方を教えなかったのも母。悲しさと同時に、初めて理不尽というものを感じた。こういう「指導を受けていない仕事を頼まれて、とりあえずやったら怒られた」みたいな社会人あるあるの理不尽を、小学生で覚えてしまった。

以降、私は実家の風呂掃除を一切手伝わなくなった。

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大人になった今でも、家事で一番苦手なのは風呂掃除だ。気が向いた時にしか掃除しない。掃除しても、頑固な汚れが残ってしまうが、気にしないようにしている。私しか、この風呂を使わないんだもの。それにわざわざ風呂掃除のやり方を調べたりしない。苦い出来事を思い出してしまう。

社会人になってから、風呂だけでなく、住んでいる部屋全体の掃除が行き届かなくなった。ストレスがひどく溜まったときは、部屋が汚れていても散らかっていても、掃除をする気にならない。そんな日が何日も続く時期もある。食べた後の食器の片付けを翌日に回してしまうのも日常茶飯事だ。

部屋の散らかりが気持ちを沈めている要因の一つなのは分かっている。しかし、朝起きて仕事に行き、家に帰って寝る、その行為だけで日々精一杯なのだ。

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私のモヤモヤを晴らすためには、お風呂を含め、部屋を一掃する必要があるだろう。丸一日掃除に費やす時間を作ってもいいかもしれない。もし金銭的余裕ができたら、お風呂だけでも家事代行を依頼してみようと思う。小さなトラウマと未だに向き合うのが怖い。

風呂掃除は嫌いだが、やはりお風呂に入るのが好きだ。身体が芯まで温まるし、リラックスできる。長めに浸かって汗をたっぷりかくのも気持ちいい。きっと、浴室がきれいならお風呂をもっと楽しめるんだろうな。でも、風呂掃除ができるようになるまで、まだ時間がかかりそうだ。