東京。ここは何でも揃う場所。人が行き交い集う場所。たくさんのビルに埋もれている場所。色々な感情が入り交じる場所。

東京は色々なことをイメージできる場所であるが、私にとって東京は陽キャみたいな存在だ。

まるで「田舎もんなんか怖くない。キラキラした世界は俺のもの!」と豪語しているかのようだ。

私の地元にあるお店や食べ物が東京にはないし、別にそんなのがあってもなくても東京では困らないんだなと感じるほどである。

私と東京では分厚い壁を感じてしまう。

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東京という土地だけではない。

東京に住む人(東京にいる人)も同様に分厚い壁を感じることがある。有名な東京の駅に行けば、ブランド物を身につけている人が多い。

ルイヴィトン、シャネル、オメガ、アルマーニ…ブランド名はわからないけれどなんか高そうな宝石を身に着けている人もいる。

田舎で育った私は「どれだけ前世で徳を積めば高級ブランドを身に着けられるのか」と考えてしまう。その様子を見ると、私は私は東京に来ることが場違いなのだと痛感する。

私はブランド物なんか一切身につけていない。安くて使いやすい服が好みだからだ。

また化粧をすると肌が荒れるので、常にすっぴんである。つけるとしてもリップぐらいだろうか。

以前、ディオールでそこそこ高いリップを買って使用していたが、無くなるたびに5000円もする代物を買えないな…と思い、買わなくなってしまった。

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ある人にとっては美容に不可欠な5000円だったとしても、私にとっては美容よりも別のことに使ったほうが有意義だと感じる5000円なのだ。

かといって、東京のレベルに自分を合わせるにはお金が無いし、正直面倒くさい。

でも東京に行くと、私は何故か周りと合わせていない人間、どうしようもない人間だと感じてしまうことがある。

東京に染まらずに佇んでいる私は孤独な人間で、どこか可哀想な人間に見えているのかもしれない。

私と東京には埋まらない溝がある。距離感がある。それは東京という場所だけではなくて、そこに住む人やいる人とも距離を感じてしまう。

この距離は「格差」と言っていいだろうか。私のなかでは、格差社会のトップの人間が住む“東京”というイメージが付きつつある。

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 私のなかで作られたこのイメージは随分と厄介だ。何を考えるにしても、まずこの枠組みで物事を考えてしまう。

「あの人はお金持ちで苦労もしたことがないんだろうな」とか、「きっと裕福で手に入らないものなんて何もないんだろうな」とか。妬みとか羨望とか色々な感情がフツフツと湧き上がってくる。

「いいな…」とかそういう感情だったらマシなのだが、いつか「あいつなんか…」とか相手を叩きのめしてやる!といった嫉妬が爆発しそうで怖い。

別にその人が悪いわけでは決してない。

自分の境遇とか生い立ちとかを考えれば考えるほど、東京のようにキラキラとした存在を妬んでしまうのだ。

私の心が汚れているせいなのか、それとも心が狭い人間だからなのか。

“格差”を感じてしまう東京が、私にとって妬みや羨望の温床にならないように自制していかなければならない。