お気に入りの爽やかな花の香りが湯気の力を借りてふわりふわりとバスルームへ緩やかに広がる。最近気に入っているブランドのものでジャスミン、ローズ、ラベンダー、スミレがブレンドされていて、少しお高めだけれど香りにこだわる私からしたら安いものである。
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髪の短い私は本来、少なめのシャンプー量で済む筈なのだけれど、髪の量が多いので気持ち多めにプッシュ。わっしわっしと頭の上でもこもこと泡立てる音が浴槽に響く。泡を立てるために手を動かすことしかやることのない時間。家族が寝静まった後に入ったのもあって静かだし生活音がしないので、なんとなく落ち着かない。シャンプーが目に入るのが怖いから目を瞑って無心で髪の毛を洗う。そんな時。
ピチョン。
脱衣所の洗面台から水音がする。メイクを落とした時、ちゃんと蛇口が“閉”にひねれていなかったのかな。静寂の中、等間隔でピチョン、ピチョン、ピチョン……と消え入りそうな水音がバスルームまで届く。ああ、地味にこういう音は気になるな。まだ頭はもこもこの泡に包まれたままだけれど蛇口、ひねりに行こう。と思い、はたと脳裏にある記憶が蘇る。バッ!!っと給湯器の時計を見やる。もう2時になりそうな時分。丑三つ時、というやつだ。私は怪談の類は好きなのだけれど夜に一人で聞くのは絶対にムリだ。なんだっけ、丑三時に湯船に入るとヒトならざるモノが浴槽に入ってくるとか、シャンプーする時に鏡に背を向けると“シャンプーさん”なるものが頭を洗ってくれるが姿を見たら鏡の世界に引き摺り込まれる……など、こんな時に限ってお風呂の怖い話を思い出してしまう。
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ねえ今私の後ろって誰もいないよね!?後ろっていうか前にもいないよね!?とりあえず視界に何かいる訳ではないからひとまず安心はする。ただし状況はあまり好転していない。脱衣所か、もしくは真後ろに“いる”可能性はまだ拭いきれていない。すりガラス越しの脱衣所に異変はない、残るはあと一つ。振り向き後ろを確認するだけ……なのだけれど、それが一番ハードルが高い。
このまま自分の部屋へ突撃して仕舞えば仮に“いた”としてもいなかったと言える。けれども気になる。本当に私の後ろには何もいないのか?けれども怖い。けれどもしっかり確かめて安心もしたい。けれども怖い話を思い出したせいで背にした鏡や浴槽から視線を感じる、気がする!!!どうしようどうしよう。もう家族はみんな寝てるだろうし後ろに何もいないことを確認してもらう為に起こすのも気が引ける、そもそもすっぽんぽんだし。いい年した大人が素っ裸で寒さと恐怖で鳥肌が立っている。我ながら情けなさすぎる。そういえばシャンプー中にこんな突飛な思考に思い立ったせいでリンスしてないや。……リンス?
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天啓。まさに神の思し召し。神の御恵としか言い表せない。突如、私の頭に一閃の光が差し込んだのだ。シャンプー中の絶えることない何者かからの視線。それは怪異でも気のせいでもない。リンスだ。リンスの、「ヤツ(シャンプー)の次は仕上げに俺の番だ。忘れてくれるなよ?」という熱視線だ!!!
今日、昨日の壮絶な修羅場を潜り抜け掴み取った打開策を書いている。今にもエウレカ!!とか叫びそうな筆の勢いに吹き出しそうになるが、昨日の私は本気でアルキメデスと肩を並べたと思っている。冷静さを取り戻した今でも中々に良いアイディアだと思っている。だから入浴中、もしも耐え難い恐怖に襲われ「なんだか視線を感じるぞ……」と恐怖に駆られたら、どうかこの文章を思い出して欲しい。その視線の主はリンスなので。