私は、ワンピースが好き。
特別な日も、何気ない日も、手に取る洋服はワンピースばかりだ。
背中のチャックをしめて、背筋がのびる感覚が好き。
軽やかな足取りでスキップすると、裾がふわっと広がる感じが好き。
なにより、洋服のコーディネートが苦手な私を「素敵女子」であるかのように見せてくれる魔法の一枚が「ワンピース」なのである。
毎日おしゃれできないけど、本当は365日ワンピースで過ごしたい
本当は今日も明日も明後日も…365日ワンピースを着て過ごしたい。
でも、21歳になって、就活でスーツを着なくてはならないし、毎日おしゃれをしてお出かけできるわけでもない。
それでも、カメラロールを見返せば、そこに写る私はワンピースを纏って微笑んでいた。
紺色のワンピースは、大切なプレゼンテーションの時の勝負服。
大好きな人と会う日には、花柄のフリルのワンピースを着て玄関のドアを開ける。
友達とおしゃれなカフェで待ち合わせをするときは、淡いブラウンでノースリーブのワンピース。
ちょっと近所のコンビニに出かけるときは、5秒で着られるシンプルなシャツワンピ。
数えたことはないけれど、ワンピースの数は100着を余裕で超えるだろう。
色や素材、柄、半袖や長袖、七分袖、膝が見えるショート丈からくるぶしが隠れるロング丈まで、その日の気分や、会う人、出かける場所に合わせてワンピースを手に取る。
そんな私が、一つだけ持っていないワンピースの色がある。
それが「あかいろ」のワンピース。
幼い私の目を奪った「あかいろ」の、ただただ美しいワンピース
これは、私が5歳の頃のお話。
知っている色といえば、幼稚園のクレヨンの12色くらいで、アースカラーやパステルカラーのような、たくさんの色は知らなかった。
そんな私は、ある日両親に連れられて自宅から車で30分くらいかかるデパートに来ていた。お出かけするよりも、家で大好きなアニメを見ているほうが楽しかった当時の私は、デパートに着いても気分が乗らず、ぐずって両親が困った表情を浮かべていたことを覚えている。
その日も、早く帰ろうとばかりを口にして、両親もあきれながらに帰ろうかという話になった。
最後まで足取りが重い私の両手を、父と母が引いて、ファッションフロアに足を踏み入れた時、私の目に飛び込んできたものは、さっきまでの気分を一新するものだった。
それが「あかいろ」のワンピース。
あの頃の私が知っている色に当てはめるのならば、間違いなく「あかいろ」だった。
しかし、思い返せばその色は限りなく「深紅」に近く、クレヨンでは表すことのできない深い深い赤。
顔のディテールのないすらりとしたマネキンが、一つの飾りもないあかい生地を纏って、堂々とガラスの向こう側にいたのである。
ただただ、美しかった。
「あかいろ」のワンピースが似合う女性になることが、私の大切な目標
一瞬で目を奪われるほどに美しいワンピースは、顔がないマネキンのせいなのか、誰に似合うのか、誰がふさわしいのか、あの頃の私は当てはめることができなかった。
それは今も変わらない。
たしかに、あの美しさは見えている世界が限りなく狭かった当時の私だから、そのように感じただけで、今の私が目にしたところで同じ感動を得られるとは思わない。
今なら「あの女優さんにならピッタリかもね」と思うかもしれない。
あるいは「ただの真紅のワンピースじゃない」とスルーしてしまうものだったのかもしれない。
しかし、記憶の中で輝いているあのワンピースは、ずっと私の憧れのガラスの向こう側にいる。
だから、私はあのワンピースが似合う女性になれるまで、なれるというか、自信を持って纏えるまでは、「あかいろ」のワンピースを選ばないと決めている。
「あかいろ」のワンピースが似合う女性になることが、私のかけがえのない目標である。
ずっとずっと思い出の中にある「あかいろ」のワンピース。
いつの日にか、あのマネキンに代わって、私が「あかいろ」のワンピースを着られる日が来るまで、記憶の中で輝いているだろう。