「睡蓮さんはよくスタバに行くみたいだけどコーヒー飲まないよね」
「そうですね〜。昔は飲んでたんですけどね」
スタバ好き、カフェ好きで通っている私だが、カフェインを取るために頼むのは カフェラテやソイラテ、最近はキャラメルマキアートなど甘い飲み物も多い。 大学生の頃の方がアイスコーヒーやホットコーヒーを飲んでいた気がする。
今も昔も酸味や苦味が得意ではなかったのに、なぜあんなにコーヒーを飲んでいたのかふと考えると、思い出すのはやはり人や環境だった。
◎ ◎
「カフェベロナという商品は深煎りのコーヒーで、チョコと合います」
陳列棚に並べられたコーヒーを手に取り説明する先輩の言葉をメモにとる。
「お客様に質問された時には今の説明を参考にお話ししてね」
一通りの説明を終えた先輩は、商品を棚に戻し、私をバックヤードに連れていく。
「それじゃあいろんなコーヒーのテイスティングをしてみような」
「これは、なんか他のよりも酸っぱいです」
美味しいかどうかは別として味の違いを舌に記憶ことに集中していた。
コーヒーが好きだと自分に信じ込ませるように。
◎ ◎
コーヒーに深く関わり始めたのは、スターバックスのアルバイトを始めた頃からだった。
コーヒーが好きというよりかは、人や環境が好きで働きたいと思った私はコーヒーに関する歴史や知識を勉強し、コーヒーが好きだと信じ仕事についていた。
人は不思議と継続すると感覚が麻痺するように、初めは苦手だったコーヒーの味もいつの間にかなんとも思わなくなっていた。
自分が好きかどうかは置いといて、仕事として飲むことに抵抗がなくなっていた。
スタバでのアルバイトに加え、当時付き合っていた彼氏の影響も少なからずあっただろう。
3つ年上の彼氏は、よく好んでコーヒーを飲んでいた。
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車の中に広がるコーヒーの香ばしい匂いがやけに大人っぽく見えて当時の私は少しだけ背伸びしてコーヒーを一緒に飲んでいた気がする。ついこの間までフラペチーノに喜んでいた人間だったにも関わらず、美味しいね、なんて言いながら飲んでいたコーヒーの味も今は忘れてしまった。
スターバックスでのアルバイトを辞めた後も、彼氏永遠あれた後も、 近所の喫茶店でバイトを続けた私はコーヒーを淹れる毎日を過ごしていた。切っても切れないほどにコーヒーとは密接だったように思う。
そんなコーヒーと疎遠になったのは大学院を卒業した時だった。
仕事として近くにいたコーヒーだったため、いざ、コーヒーに関わる仕事からも卒業すると、不思議とコーヒーを飲まなくなった。
初めは、カフェラテやソイラテに移行し、最近はスタバに行ってもキャラメルクリームやココアといったコーヒーとは全く関係のない飲み物を 飲むことがほとんどになった。
人間関係や環境の縛りがなくなった今、私にコーヒーは必要なくなったのだ。
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コーヒーが嫌いになったわけではなく、単純に私には早すぎた。
関わらなければいけなかったから、コーヒを通して人と近くにいたかったから。
私を突き動かす気持ちがあったからこそ選ばれていたコーヒー。
あの酸味も苦味も、選択の自由がある中で選ばれることはないのだ。
それは子供舌という、そもそもの私の特性もあり、コーヒーを触媒に人と関係を気付きたいという強い気持ちもないからだろう。
他者の目を気にせず、自分のしたいように何かを選ぶことが自由で素敵かを知ってしまった。
今はその選択に身を委ね、私はコーヒー以外を選ぶ。それでも、いつかその自由な選択肢にコーヒーが入ってくることもあるだろうし、コーヒーと共に築く人間関係があるかもしれないことにワクワクもする。
私にはまだちょっぴり大人なコーヒー。
そんなコーヒが私の手に収まる日が来たとすれば、それは私が大人になったということなのかもしれない。