大学3年生の夏休み、私は友人とベトナム中部の都市から首都ハノイまで北上する旅に出た。約1週間かけてバスや電車を使って移動する計画だった。この旅を今でもはっきり覚えているのは、あまりにも温かい思い出が多いから。
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ベトナムに決めた理由は、当時友人が付き合っていた彼氏繋がりの友人が現地にいたためだった。空港まで暖かく迎え入れてくれただけでなく、その都市に滞在した3日間は、バイクに乗せて色んな場所へ連れて行ってくれた。
更に友人が友人を呼んで、ローカルな人しか行かないような夜店でベトナムスイーツを食べて、コンサバなドレスを買って着飾ってみんなで飲み明かした。言葉は通じないのに、最後はハグをして涙ながらに別れたと記憶している。
そっと私たちが長距離バスに乗り込む時に手渡してくれたキーホルダーには、私の名前が彫られていた。名前は現地に到着してから初めて明かしたため、きっと短時間で用意してくれたのだろう。バスに揺られながら、限られた時間で最大限の気持ちを手渡してくれた彼らに感謝をした。
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次の都市は世界遺産の都市で、ツアーを申し込んで効率よく周った。何箇所も遺跡を巡っているうちに、厳しい暑さからか私たちは熱中症気味になった。次の遺跡に止まったとき、意を決して車内に残ることは可能か確認をしようとした。
しかし、添乗員は早々に出て行ってしまった。困っていると、言語が通じないはずのドライバーが瞬時に察してくれて、何も言わずにそのまま車内に残ってくれた。本当は彼は車内を出たかったのかもしれない。
だって今までの遺跡では、顔見知りのお土産屋の店主たちと仲睦まじく話をしていたから。みんなが戻る30分ほど、クーラーが切れないようにエンジンを付けっぱなしにした車内で無言で待っていてくれた。胸のムカつきは消え、温かい気持ちで満たされた。
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その後は夜行電車に乗り込んで、最終目的地である首都まで半日かけて向かった。今までの都市とは打って変わって近代的な街並みだった。すっぴんのままボロボロの服を着て、お腹を鳴らしながら早朝の街を歩いていると、日本語で話しかけられた。
その男性はベトナムに駐在している日本人で、「今にも倒れそうな日本人らしき人を見かけたから」と笑いながらおすすめのフォーのお店へ連れて行ってくれた。出勤前にも関わらず私たちをホテルまで届けてくれ、早めにチェックインできるように交渉すらしてくれた。そして近所の美味しいステーキ屋さんでディナーまでご馳走してくれた。
実は、ホテルに届けてくれた後に、あまりの親切さに私たちは不審に思って、ディナーの返事を待ってもらって会議を開いた。アット・スターバックス。現地限定のフラペチーノを飲みながら、あの日本人男性は本当に安心できる人なのか議論を重ねた。徐々に底をつき始めている手持ちのお金とステーキを天秤に乗せ、ステーキに傾いたことを確認した。
明朝のツアーを申し込むことで早く帰る口実を作って返事をすることにした。参戦が決まれば準備。街歩きで見つけた可愛い雑貨屋さんで色違いのドレスを購入し、急いでホテルに戻って2人で化粧をし合った。女の子って楽しい。
こうして無事に変身を遂げた私たちは、ベトナムで食べた中で最も美味しい夕食にありついた。デザートワインまでいただいて、最後は屋台のアイスのお土産付き。あの優しい日本人男性とは日本に帰国した後も何度かお会いし、継続した交流を続けている。
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翌朝、無事にハロン湾クルーズを終えて、成田行きのフライトを空港で待ちながら旅の写真を見返した。1週間以上も滞在し、2人で行動した時間の方が多いはずなのに、なぜだか誰かに撮ってもらった写真が異常に多いことに気がついた。どちらかがもう1人の写真を撮っていると、自然と誰かが寄ってきて代わりに2人が入った写真を撮ってくれたからだ。
私は、こうやって常に周囲を気にかけて暮らせているかな。誰かの笑顔を作れるようなことを日常でできているかな。そんなことを南の国で考えさせられた夏だった。