コーヒーが苦手な私はまだまだ大人の味を知らずに、損して生きているのかもしれない。

数年前に訪問先でコーヒーをだしてもらい、丁寧なおもてなしを受けたが正直美味しいとは全く思わなかった。むしろ、こんなものを飲む必要があるのかなあと考えさせられたくらいだった。

それから全くコーヒーを飲んでいないけれど、昨年のとあるドラマで高校時代にカップルだった主人公のふたりが再会して、喫茶店でコーヒーを飲みながら話すシーンを見て、高校生から大人へと時間の流れを感じさせる演出なのだろうかと、深く考えていた。

一方で高校生が喫茶店でコーヒーを注文することもあるのだろうけれど、コーヒーは大人になってから再会した特別な関係性の人を優しく包み込んでくれる飲み物だと、そのドラマを見て思った。

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たとえばクリスマスの聖夜に恋人と家でクリスマスパーティーをするとしたら、タートルネックのニットを着て淹れたてのコーヒーを飲む恋人の横顔を眺めるのが、憧れである。

そこで一緒にコーヒーを飲めたら良いけれど、やっぱり私は飲みたいとは思わない。逆にコーヒーが胸キュンシーンに登場する大事なものだとしたら、恋愛小説を書く上では相棒といえる。本を読みながらコーヒーを飲む人も素敵だし、お仕事の休憩時間にコーヒーを差し入れするドラマのワンシーンは何度も見てきたからこそ、それが日常生活のなかで身近ではないということもないのだ。

コーヒーを通して生まれる物語が沢山あることを知った私は、コーヒーに限らず大切な人と飲んだ味は忘れられないと思っている。

「コーヒーはあまり飲まない。好きだけど嫌いっていうわけじゃない。たまに飲む時はブラック。逆に飲まなさすぎて、砂糖とかミルクをどんぐらい入れていいかわからん」

これはとあるアイドルグループのメンバーで今、私が夢中になっている推しのコーヒーに対するコメントである。私より三つ年上の彼は王子様のようなところもありつつ、一見クールだが普通の男の子のような親しみやすい一面をもつアイドルだ。

そんな彼も、コーヒーはあまり飲まないらしいけれど、きっとコーヒーを飲む時の横顔は美しいのだろうなあと夢見ている時間は、現実から非日常へとどこでもドアで飛んでいったような妄想の世界が、心をじんわり温めてくれる。

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こうして苦手なコーヒーが豊かな世界に導いてくれるのは確かであって、そこに新しい価値観が生まれると、小説を書こうとしている私にとっては創作の意欲が湧いてくるものなのだ。

ドリンク一つにも、人と人の出逢いがぎゅっと詰まっていて、何気ない場面を彩っているのだと思うと、コーヒーを飲まなくてもほっと心が温まっていくのがわかる。コーヒーを飲むだけであの頃の恋が蘇ってくる人もいれば、お仕事で疲れ切ったときに身も心も癒してくれるのはコーヒーしかないという人も少なくはないはずだ。

そんな気持ちを満たしてくれるコーヒーには、身体の緊張をほぐしリラックスできる魔法があるに違いない。

もう数年前のことだが、とある某有名コーヒーショップに行くと、コーヒー片手にパソコンに向かって作業しているサラリーマンや、ライブ帰りに余韻に浸りながら談笑している学生の姿が見られた。

集中するとき、今しかない時間を過ごしながらじっくり楽しみに浸りたいときコーヒーが目の前にあること。それは特別ではないようで、きっと特別な相棒なのだろう。

コーヒーがあるから一日を心地よく過ごせること、試験や面接がある大事な勝負の日など、時に社会から解放されたくなる大人の心を癒し、温かく包み込むためにコーヒーがあるのかもしれない。

いつも何かと戦い疲れ果てた大人が、リラックスしたいときにコーヒーが導き出してくれる世界を私もいつか知りたい。