きょうも、1日でいちばんの大仕事が終わった。

午後6時半ごろ。湯船に浸かると同時に、安堵のため息をつく。お風呂は、誰にも邪魔されず、一人で休める至福の場所だったのに。子どもが産まれてからこの1年は、戦場に向かうような心持ちで挑んでいる。

昨秋、第一子が誕生した。管理職を担う旦那の帰りは遅く、平日は一人で二人分の入浴を済ませなければならない。これがまた、想像以上に重労働なのだ。3キロに満たず生まれた娘も、今では7・5キロと倍以上になった。数字で見ると、まだまだ軽いような気がするが、片手で体を支えて全身を洗い、抱っこしながら浴槽を出入りする作業は体力を消耗する。家事や仕事で、疲労が溜まった1日の終わりの体には、なかなか堪える。

20代後半にさしかかり、結婚、妊娠、出産と人生の節目を一気に迎えた。気が付けば、あと数十日で30歳になる。たった数年しか変わらないのに、30代は遠い存在だった。まさか自分がなるなんて、考えられない。まだまだ未熟者なのに。ただ、一つだけ明らかに言える。今も十分、若いのだが、会社で仕事を任せられるようになったり、家族ができて旦那や子どもの生活を支えるようになったり、ほんの少しだが何らかの責任を負う立場になった私は、身軽だった頃がほんの少し、いとおしくなる。手にする時間を、すべて自分に費やせた、入浴時間を一人で堪能できた、あの頃だ。

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お風呂の時間を楽しむようになったのは、高校生時代からだ。元々は、ダイエットが目的だった。食べ盛りで、食生活の改善だけではどうにもできず、代謝を上げようと半身浴を始めた。湯船で長時間過ごすため、携帯電話や本を持ち込んだ。BGMに、当時大好きだった洋楽を大音量でかけた。次第に、体からじわじわと汗が出てきて、体が熱くなる。数十分後には、体内に溜まっていた何かが放出されたように、身も心もスッキリしていた。浄化されているような感覚で、いつしか習慣化していた。大学生になると、一人でスーパー銭湯や温泉に出かけるようにもなった。

今は楽しみ、というより、もはや体を清潔に保つための行為でしかない。毎日、戦っている。それでいいと思っている。子どもが成長して自立すれば、お風呂を楽しむ時間なんて、否応でも再びやってくるはずだから。子どもが成長する姿、一瞬一瞬を見逃さないよう、子育てに力を注ぎたい。覚悟を決めた。

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同時に、わずかながら後悔の念に駆られているのも本音だ。あの頃、もっとのびのび生きていればよかった、と。あれだけ自由だったのに、私は自分で自分に制限をかけて、我慢ばかりしてきた。本当はもっと海外旅行がしたかったのに、お金がなくなるのがこわいから、と度々諦めた。いろんな資格の勉強に関心があったのに、誘われなくなるのがこわくて、人付き合いを優先した時間の使い方をしていた。やりたいことはたくさんあったのに、未来や他人にばかり目を向けて、自分の気持ちに蓋をしていた。

自分の時間がなくなって初めて、好きなこと、やりたかったこと、が分かった。今からできるのは、現在の自分と向き合い、これ以上後悔しない生き方をすることだけ。そして、私より若い人に声を大にして伝えたい。「自分の気持ちに、正直に生きてほしい。今という時間はもう、一生戻ってこないから」。