あぁ。恋愛って、何て面倒なんだ。
20代半ばにさしかかり、漠然とそう思うようになった。大学生時代、3年以上付き合った彼と結婚を約束していたにもかかわらず、遠距離恋愛になってすぐに別れるはめになったからか。
社会人になって最初に好きになった年上の男性は取引先の担当者で、ろくにアプローチもできないまま、身を引いたからか。明確な理由は分からないが、いつからか、恋に時間を費やす意義を見出せなくなっていた。
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当時、仕事しているのが楽しくて仕方なかったのは覚えている。やればやるだけ結果が出たし、誰かが認めてくれた。恋愛は、とにかく実りがない。相手と両想いになるなんて至難の業だ。頑張ったところで、相手が振り向いてくれるかなんて分からないし、こちらの思いなんて一切関係なく、友達、はたまた恋人以上友達未満、と関係性が出来上がる。時間と労力を費やす必要はあるのだろうか。
若かりし、あの頃の私は焦っていたのだと思う。自信、安定、評価…。揺るぎない自分になるための、何かを手に入れたくて仕方なかった。だから、成果が形となって見える仕事に専念したのかもしれない。
世間は、寂しさから仕事に逃げている、かわいそうな女性と、勝手に判断してきた。いい加減、頼んでもいないのに合コンや見合い話を持ち掛けてこないでほしい。興味もない男性と毎日メールのやり取りをし、デートに出かけて、関係を発展させるなんて考えただけで億劫になる。今という貴重な時間を、誰かに縛られ、振り回されるなんて、まっぴらごめんだ。
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とはいえ、独りはやっぱり辛かった。周囲の友達に恋人ができたり、はたまた結婚したり、パートナーを見つける姿を目にしていると、胸がちくりと痛んだ。私にも、どんな自分も受け入れてくれる存在がいてくれたら、どれだけ幸せを感じられるだろうか。
そんな身勝手なアラサーはある時、思いついた。そうだ、「結婚」すれば、恋愛しなくて済むし、独身への圧力から解放される。相手の気を引こうと無駄な駆け引きをしたり、好かれようと自分を繕ったり、無駄な努力をする必要がなくなる。世間的にも現実的にも、寂しい女性じゃなくなる。安直ながら、幸せになるいちばんの近道だと確信した。
不思議なことに、「恋をしない」と決めると、パートナーに選びたい男性のタイプが変わった。自我が強くなくて、おおらかで、向上心が強くない人。これまで目が向かなかった彼に引かれた。恋は盲目、というが、本当かもしれない。
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結婚して、恋心はどういうものだったか、もう思い出せないし、子どもが産まれてからはもはや、恋をしている心の余裕なんてない。異性に対するドキドキ感とか、デートを控えたウキウキ感とか、夢中になって、心奪われる誰かの存在は、今思えば貴重だった。もう味わえないのかと思うと、ちょっぴり虚しくなる。
恋をやめてよかった。今の旦那と出会えたから。だけど、もし、恋愛をしている時のような特別な感情を味わえたら、日常にちょっとした彩りが生まれるだろうし、豊かな人生を過ごせると気付かされた。年を重ね、自分のペースを乱されたくないと、感情を動かすような刺激を嫌がるようになった今の私には、必要な気がする。
もういちど、恋をしてみようと思う。もちろん、それは男性ではなく、子ども、家族や趣味。何でもいい。全身全霊で感情を注げる何かを、見つけたい。