恋をする相手は生身の人間相手のみとは限らない。「推し」という言葉が一般化していることから、アニメや漫画のキャラクターや、画面の中でしか会ったことのない俳優やアイドルなどにときめきを感じる人も、もはや珍しくないことが分かる。私もかつて、一度だけ小説の登場人物に恋をしたことがある。オルダス・ハクスリー著の『すばらしい新世界』の準主人公、バーナード・マルクスだ。

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『すばらしい新世界』の舞台は西暦2540年。人類は世界からあらゆる不安や苦しみを駆逐することに成功している。この物語は、そんな一見豊かで、何一つ不自由のない「新世界」で、新世界に馴染めない者たちが、新世界に疑問を投げかける、ディストピア小説の名著だ。

マルクスは「新世界」のエリート階級に属しているものの、見た目が他の人とは異なることから、周囲とは馴染めず、孤独に過ごしている。そして、誰もが「新世界」に疑問を持たずに快楽に溺れて暮らす中で、マルクスだけは「新世界」への疑問を持ち続けていた。

私がこの本を手に取り、マルクスと「出会った」のは、大学生の頃だった。当時、将来への不安が渦巻き、周りと自分との違いに悩んでいた私には、マルクスの孤独な立場を心のどこかで自分と重ね合わせていた。そしてマルクスが社会を相手取って孤独に立ち向かう姿に、すぐに憧れの気持ちを抱くようになった。遅読ではない方の私だったが、マルクスのセリフはすんなり読むことができず、ちょっと身構えて読んでいた。そのセリフがカッコよければ、顔を伏せてにやけるのを堪えていた。もちろんかっこいいセリフは、一言一句そのままメモをしていた。思い返してみても、挙動不審と言わざるを得ない。

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でもたかだか小説を読んでいるだけで、平常心を保てなくなるあの心情は、間違いなく恋だった。まさに恋は盲目とはよく言ったもので、マルクスの低身長で見た目がよくないところ、そんな見た目にコンプレックスを抱いているところ、やたらと卑屈で読んでいるこちらが心配になってしまうような発言、そんなところまで含めて、全部大好きになってしまった。

しかし物語の中盤で、マルクスはひょんなことから社会の注目を集め、時の人となる。するとマルクスはこれまで疑問の目を向けてきた社会をあっさり楽しむようになってしまった。パーティーを主催し、多くの女性を口説く様子を見て、私にはマルクスは名声を得て変わってしまったように思えた。とてもショックだった。あまりにショックだったため、読み進められなくなってしまった。『すばらしい新世界』は読了することなく本棚の奥の方にしまってしまった。好きだった人を忘れるために。

それから5年近くがたったほんの最近、思い立って『すばらしい新世界』を再読することにした。正直に言うとマルクスに会いたくて再読を決めたのではなく、単に話の続きが気になったからなのだけれど。会社員として働き始めて、ほんの少しだけ大人になった今だからこそ、『すばらしい新世界』を読むべきな気がしていた。

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久しぶりにマルクスとも「再会」した。驚いたのは、数年ぶりにマルクスの描写を読んでみると、彼は意志の強い人というよりかはむしろ、とても繊細で弱い人だと気がついたことだ。大学生だった私から見ると「名声を得て変わってしまった」とも思えたシーンも、至極当然の流れに思えた。生まれてきてからずっと孤独で、周りから軽蔑されて生きてきた、そんな人が突然予期せず名声を得たことで、自尊心が暴走してしまうのも無理もないことだろう。5年ぶりに「再会」してみても、もうかつてのようにときめきを感じることはなかったけれど、繊細で弱いマルクスも愛おしい魅力があり、魅力的なキャラクターだと思えるようになった。もちろん今回は最後まで読むことができ、物語を通じてマルクスの心情が移り変わる様子も楽しむことができた。

私の恋の終わらせ方、それは時間を置くこと。冷却期間やその間に得た経験が、きっと恋の見方を変えてくれるはずだから。