かがみよかがみに初めてエッセイを投稿したのは、大学院に通っていた4年前の修士1年の時のことだった。

「三浦魚」というペンネームでエッセイを書き始めた。それと同時に、Twitterのアカウントをつくった。私の「みうら」としての活動の原点である。

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自分が診断されたADHD(発達障害)の事、機能不全家族で育った事について、発信したいと強く思った。それが活動のきっかけだった。

活動を始めてしばらくして、私は心身の調子を崩してしまった。調子の良い時と悪い時を頻繁に繰り返すのは、私のメンタルの特徴でもある。エッセイは投稿できなくなってしまい、活動もほとんどしていなかった。

そのような中、低空飛行な私のTwitterのアカウントに、フォロワーが急増する契機が訪れる。フォロワーさんは、ADHDの困難と共に向き合う仲間。現在、「みうら」のアカウントには5千人以上のフォロワーさんがいる。そのきっかけとなった出来事である。

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エッセイを投稿して2年後の2021年。「発達障害のニュース」というアカウントを運営している「みらいさん」という方に、『発達障がいと診断され「生まれなきゃよかった」と言う私に彼がくれた言葉』という私のエッセイを紹介してもらった。もちろん、かがみよかがみに投稿したエッセイだった。

2021年の私が何をしていたかといえば、修士3年生として大学院にまだ通っていたのだった。ADHDの困難がもたらす心身の不調と、コロナ禍の影響は大きかった。大学院の修了条件となる修士論文を書き上げることができなかったので、留年していたのだ。

修士論文の準備と就職活動をこなすため、それまで以上に自分のADHDの特性と向き合わなければいけなかった私は、よくSNSで「発達障害」について検索するようになった。

「発達障害のニュース」アカウントには、発達障害に関する沢山の情報が溢れていた。そのアカウントを、「みらいさん」という方が1人で運営されていると知った時はとても驚いた。みらいさんが毎日発信してくれる記事や情報を引用リツイートして、私個人の考えをつぶやくこともしょっちゅうだった。

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エッセイがきっかけで知り合ったみらいさん。私のADHDに関するツイートをみらいさんにリツイートしてもらったことで1万以上のいいねがつくという「バズ」も数回経験した。その度に、繋がる人が増えていった。

「みうら」としてエッセイを投稿して4年後の今。私は、あの時からは考えられないくらい多くの仲間と繋がり、励まし合っている。みうらとして活動することで、自分のADHDの特性と向き合えた。落ち込んだ時には、優しいフォロワーさんたちが声をかけてくれた。

そのおかげで、初のエッセイ執筆当時は冴えない修士1年だった私も、何とか大学院を修了し、希望していた企業で働いている。エッセイの中で心配していた奨学金の返済免除も、半額ではあるが認定してもらうことができた。

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この4年間で、私の人生そのものが大きく変わった。大学院を修了できたこと、就職できたこと、社会人になって一人暮らしを始めたこと、ADHDの困難と共に向き合える仲間が沢山できたこと。

エッセイを書いていなければ、みらいさんに私の文章を紹介してもらうこともなかったし、今みたいに喜びや悲しみを共有できる仲間もできなかった。仲間がいなかったら、きっと私は4年間の現実での生活に挫けていただろう。

4年間で変わったことの全ては、かがみよかがみにエッセイを投稿したことでもたらされたものだったことを、ここに記しておきたい。