その日の朝は、なぜかコーヒーが飲みたくなって、別のルートで出勤をした。

5年前、私はロサンゼルスにインターンシップで訪れていた。ロサンゼルスの人々はおしゃべりで、バス待ちの瞬間、スーパーのレジ、日常の至る所で話しかけてきてくれる。元から移民が多い街で、アジア人であっても差別をされることはなく、皆気さくだった。

立ち寄ったカフェでコーヒーを買って、いつもとは違うバス停に向かった。
雲ひとつない空、暑くとも爽やかな気候、ロサンゼルスで出勤前に飲むコーヒーは、少しオシャレで背伸びした自分になれた気がして、格別に美味しかった。
ロサンゼルスのバスは海外にしては珍しく、時間通りにやってくる。出勤ルートを変えることに不安はなかった。

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バス待ちの時間、ラテン系の50代くらいの女性が話しかけてくれた。彼女はロサンゼルスに住んでいて、今日は娘のところに行くのだと楽しそうに話した。私も、「いつか研究者になりたい、アメリカに留学で戻って来たい」という夢を語った。アメリカに戻ってきたら、また会いましょう。そう約束をして、私はバスを降りた。

連絡先も知らない。彼女がどこに向かうかもわからない。それでも素敵なお世辞だなと私は思った。
いつも以上に快適な朝。明日もカフェに寄ろう、と思った。

次の日も同じカフェに行き、同じコーヒーを買って、同じバス停に行った。
バスに乗り込むと驚いたことに、昨日話しかけてくれた女性がたまたまそこに座っていた。
彼女も私のことを覚えていた。
そこで私たちはFacebookを交換した。彼女のFacebookへの投稿は、当時それなりに反響があった。

帰国後も何度かメールのやりとりをした。
また会いたいです、大学院に進学しました、コロナは大丈夫ですか?
初めは返信があったものの、だんだんと来なくなり、ついにはぴたりと無くなった。
仕方ない。街中でばったり会った仲。それも2度だけ。交流が続かないのも当然だ。人とのご縁なんてそんなもんだろう。

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ある日、Facebookに彼女がタグづけされた投稿を見つけた。娘さんによるものだった。
「お母さんは私を愛してくれていたの?」
その一言に嫌な予感がした。
コメント欄を見る限り、どうやら彼女は2年前交通事故で亡くなっていたみたいだ。

投稿に私は出会いの経緯と共にコメントを残した。彼女が娘に会うのを楽しみにしていたこと、私は夢を叶えて研究者になったこと、そしていつか再会する約束をまだ忘れていないこと。
娘さんから反応があった。
「母はおしゃべりが好きでした。あなたの成功した姿を母が見てくれていたら。再会の約束を私たちで叶えましょう。

あの時コーヒーを飲みたいと思わなかったら、カフェに立ち寄らなかったら出会えなかったご縁。ほんの些細なきっかけが、国と時代を超え、人をつなぐ。

私はロサンゼルスにインターンシップで訪れていた。