中学生の頃、iPod nanoを買ってもらった。J-POPにも洋楽にもアイドルにもアニソンにも、音楽というジャンル全般に興味が薄かったわたしのために、兄が選曲してインストールしてくれたアーティストの一人が、元JUDY AND MARYのボーカル、女性ソロ歌手であるYUKIだった。

YUKIの「2人のストーリー」という曲が、わたしは好きだ。噴き上げるような多幸感のかげに泣きたくなるような切なさもあって、なんだかいい曲なのだ。たぶん、初めて聞いた時から好きだったと思う。

ただ、音楽に疎かった中学生のわたしが初めて聞いた時から好印象だったのは、曲の良さを理解できていたからではなく、単に「馴染みのある言葉が曲に出てきて嬉しかったから」というだけかもしれない。

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中央線。東は丸の内から始まり西は高尾、奥多摩、五日市など、幾股かに分かれて終着する、東京都を東西に横断する路線だ。地図で見ると、中央線の線路は清々しいくらいまっすぐ、東京をまっ二つに分けるように、東京の真ん中を走っている。名が体を表す、潔いネーミングだなあと思う。

わたしはこの中央線の沿線で育った。シルバーの車体にオレンジ色のラインが2本走る今のデザインより前の、全面オレンジ色ベタ塗りの四角い箱みたいだった車両の頃から、中央線にはお世話になった。

「東京と言えば?」と言われて真っ先に思いつく、アイコニックなもの。わたしにとってのそれは、「中央線」かもしれない。

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良くも悪くも、中央線は東京の色んな側面を映し出していると思う。たとえば、地域の多様性。都心も都心ど真ん中の東京駅からスタートして、歴史ある文教地区を抜け、副都心と呼ばれる高層ビル街に突入し、家で埋め尽くされたベッドタウンをひた走る。

その間、学校、プール、商店街、どこかの店の大きな看板、生活を感じるものがたくさん見える。中央線は高架線路を走っているから、遠くの風景がよく見えるのだ。 やがて西に行くほど、遠かった山や川、自然が近づいている。大ざっぱに言ってしまうと、中央線に乗って辿り着く終着駅はおおむね「山の麓」である。始発駅から終点までの振り幅がかなりあり、「東京」の色んな顔を楽しめる電車だと思う。

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中央線を乗り通す間、「都心」はおろか「東京23区」を走る時間は、実は半分に満たない。わたしにとって馴染み深い「東京」の車窓は、とにかく窓の外を埋め尽くし、平野の端っこまで広がり続ける家々だ。途切れることのない家、人の生活の気配、それが東京の一番の特徴だと思っている。

そう、人の多さ。これには本当にうんざりしてしまう。ここでわたしが今までに実際に聞いた、「中央線のあまりの混雑率に心を亡くしてしまった人たちの強烈発言ベスト3」を紹介しよう。

第3位、「中央線にはブスしか乗ってねえ」
第2位、「すし詰めという言葉がもったいない。すしに失礼」
第1位、「目の前で若い女の子が貧血になって座り込んじゃって、隣に立ってた乗客が緊急停止ボタンを押そうとしたけど、静止した。これ以上電車に遅延してほしくなかったから」

元々の性格がどうこうとかではなく、人の心を疲れ切らせ、ねじ曲げてしまう力が、電車の混雑にはあると思う。痴漢もいる。痴漢や変質者は混雑度によらず現れるけれど、残念ながら混雑によってハードルが下がってしまっているのは、確かにあると思う。

高校生のわたしの尻に自分の下半身がフィットするように、不自然なくの字になって腰を前に突き出した中年サラリーマンの間抜けな格好と、降り際に振り向いたわたしと目が合ったときのきょとんとした憎らしい表情を、わたしはいつまでも思い出す。

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混んでいなくて、晴れていて遠くが見えて、変な人と乗り合わせていないときの中央線は、本当に牧歌的で最高だ。下り電車のドアのそばに立って、車窓を見る。遠くに、折り重なる山の輪郭が見える。空気が澄んでいれば、遥か先の富士山だって見える。夕方には西日の逆光で、いくつもの山々が影絵のようになり、いっとう美しい。

春には、街のあちこちで咲く桜を上から見下ろせる。夏には、家々の先にもくもくと立ち上がる入道雲がある。秋冬は、青空の最も澄み渡る季節。車窓いっぱいに、関東の乾燥した雲ひとつない快晴が広がる。

わたしの中の「東京」を表す、この上なく愛しい電車、中央線。乗ったことのない人は、ぜひ一度端から端まで乗ってみてほしい。できれば晴れた日の午後、お気に入りの音楽を聴きながら。