22歳までを、東京で過ごした。いや、厳密に言えば実家があるのは埼玉県なんだけど、中高大と都内の学校に通っていたから、半分そういうことにしていいだろう、と勝手に思っている。

その後、わたしは、関西に住んだり、田舎に住んだり、仕事で都内の会社に戻ったけれど多拠点生活をしてみたり、今は地方と地方の二拠点生活をしたりと、東京とはずいぶん距離を保って暮らしてきた。実を言うと今でも月に一度くらいは東京に行っているのだ、暮らしレベルでここに戻ってくることはもうないのだろうなあ、と何年も前から思っている。

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それまでのわたしは東京が大好きだった。

特に高校生以降、最強の相棒みたいな彼氏と付き合ってからは、休みのたびに都内のいろいろなところに出かけて、散歩したり、レンタサイクルしたり、ピクニックしたり、美術館やイベントを覗いたり、お茶やご飯を楽しんだり、それら全てに楽しみの尽きないすごい場所だなと思っていた。

大学生になってもそれは変わらず、お酒が飲めるようになったこと、夜遅くまで出かけても大丈夫になったことが相まって、大学でできたたくさんの友達と共に東京での日々を満喫し、ますますその楽しみは果てがないように思えた。

たぶん、今も東京での暮らしを真摯に続けていたら、きっとそうなのだろう。社会人には社会人なりの東京の楽しみ方があるし、家庭を持ってからはまた違う見え方もするだろう。実際、大学生までの時分に出会った多くの知人友人たちは今も変わらず東京近郊にいて、今までの楽しみ方を少しバージョンアップさせたような(それは以前よりもお金がかかったり、幾分ヘルシーだったり)過ごし方で思い思いに楽しんでいる。

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でも、一度東京を出てみると、びっくりするくらいそれらが魅力的に映らなくなってしまった。

ひとつは初めて一人暮らしをした大阪で文化の違いに驚いたこと。同じ都会でもあまりにも違っていて、でもその違いがなんだか心地よくて、日本にはまだわたしが知らないものごとがたくさんあるんだろうなと思わせてくれた。

もうひとつは、地方の暮らしを知ったこと。初めはなんて「何もない」ところに来てしまったんだろうと思ったけれどそれは勘違いだった。東京で過ごすのと同質の楽しみ方を求めたらそこは確かに「何もない」、と映るのだろうけど、実際には東京にはないたくさんのものに溢れていて、それがわたしには逆に新鮮だった。

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そういうわけで、短い人生、もっといろんなものに身を浸して生活してみたくなって、そうなると「東京に割く時間はもうないな」という結論に至ったのだった。ちなみにそのきっかけは、大学3年生の時に夏のインターンに応募し始める同級生たちを見て「わたしはまだ就活する時じゃない気がするな」と思い、大阪の大学院に進学したことだった。

別に大阪に住みたくてそうしたわけでもなくて、ちょっとした理由の一致でしかなかったのだけれど、そのことが始まりでこんなにも人生が変わるとは思わなかったなあ。もしあの違和感を気に留めず、ふつうに就活していたら、きっと転勤のない都内の会社に勤めて、今のわたしは知らない東京のおしゃれなお店を行きつけにしたり、好きな時にイベントに出かけたりして、楽しく過ごしていたんだろう。

そんなパラレルワールドは、今も東京に居続けている大好きな友人たちの姿を通して覗き見ることにしていて、東京に未練はまったくないのだった。