今年が始まってすぐ、私は新年の抱負を書いた。その字は「挑」だった。

どんなことにも挑戦したいという気持ちがあった。ジムにも通う気でいた。もっとたくさんのエッセイを書いて書いて、書きまくって応募しようとも思っていた。手芸は、やり残したマフラーを完成させる気力であふれていた。ピアノだってショパンのノクターンを今年こそは練習しようとしていた。読書は、月五冊を読む心意気があった。

年始当初、私にはやりたいことがあふれていた。野望が渋滞していた。だけど、お金がない。時間がない。そうやって、なにもかも言い訳にしてきた。言い訳をすれば、やらなくて済むから。現状を変えたいのは一番自分のはずなのに、なんだかんだ今が一番心地いいのだ。そうやって言い訳をする手段はそこら中にあった。

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新年に立てた目標を年末まで覚えている人は十パーセントもいないと聞いたことがある。「今年こそは」を繰り返して、いつしか「お金もあるが時間もある、だけど体だけが付いていけない」年代になる。そんなの、私は嫌だ。

今年も残すところ二ヶ月弱。泣いたり笑ったり、色々あった。「私は今日、世界一頑張った」と電車の中で自分をほめる毎日。周りのみんなの顔も疲れ切った表情。それを見ると、みんな一歩一歩頑張っているのだと思うのだ。

お疲れ様、本当にお疲れ様。自分にも周りにも、いつもご機嫌でいたいと思うのだ。
今日も笑いたくないのに笑って、行きたくないのに行く職場。明日も休めたらどんなに楽かと考える日曜日。そんな日々を一歩一歩乗り越えて、今年ももう終わろうとしている。

私が今年中にやりたいこと。それは、執筆活動をもっと頑張ることだ。そして、編み物を継続してマフラーを編み切ること。ピアノの新しい曲を弾けるようになること。読みたい本残り三冊を今年中に読み切ること。自分の機嫌を自分で取れるようにすること。ワークライフアンバランスをやめること。

やりたいことはたくさんあるけれど、すべて時間のせいにしないこと。仕事のせいにしないこと。そして、一番は自分をねぎらうこと。今日も本当にお疲れ様と、自分の頭をなでるのだっていいじゃないか。そして、自分を見つめる時間を一日の中で作ること。

案外シンプルで単純なはずなのに、私は時々自分を忘れる。こんなに頑張っている体をねぎらうことを、忘れる。 

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もうすぐ本格的に寒くなる。寒くて寒くて、みじめで死んでしまいそうになる帰りのバス停。バスが来るまであと十五分がきつい。月明りが今日も私を照らす。金木犀の香りが、期間限定で私を癒してくれる。唯一の癒しだ。

今日も頑張った、本当によく頑張ったとほめてくれるのは、大人になったら自分しかいなくなることを知らなかった。

残り二ヶ月弱、今年はどういう日々で締めくくろうか。

人生はたったの四千週間ほどしかないらしい。残り、どれだけの日々が残っているのだろうか。私は何を残せるのだろうか。

そんなことを考えながら内省していると、「どんなことも、一歩一歩の積み重ね」ということに気が付いた。小さな選択を繰り返し、一歩一歩自分で考えて行動した結果が今だ。

今日が一番若いのだから、一歩一歩積み重ねていく。まずは今日の日記を書いてみよう。かがみよかがみのエッセイに応募してみよう。編み物を一段でもいいから編んでみよう。ピアノを一小節でもいいから練習してみよう。私はそうして今、少しずつを積み重ねている毎日だ。

どうか、自分をねぎらうのを忘れずに、残りの二か月を無駄にしない日々を皆さんにも送ってほしい。