小さい頃から、母親や祖父母に「可愛い、可愛い」と言われて育った。自分は可愛いと信じて疑わなかった幼少期。
私は生まれてから今まで一重である。小学生になって、友達がたくさんできた。勉強も運動もよくできて、明るく楽しく過ごした。でも、私に向かって「可愛い」と言う人はいなかった。
中学生になって、親友ができた。親友は、可愛かった。クラスの男子が親友のことを「可愛い」と言っていた。私の好きな人は、親友の彼氏になった。ケータイで写真を撮ることが増えた。親友の横に並ぶ自分の顔は、可愛くなかった。ある日、熱気でくもった家の洗面台に指で「毒」と書いて、母親からとめられたことを覚えている。
高校生になって、いわゆる一軍に所属した。仲良し5人組のうち、2人が可愛かった。2人は可愛い子として生きていた。まわりもそれを認めていた。部活で素敵な顧問とメンバーに恵まれ、かけがえのない思い出をつくった。文化祭で、誕生日を祝ってもらった。青春だった。好きな人への想いは届かなかった。私の好きな人は、学年で1番可愛い子と付き合った。
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大学生になって、上京した。今までとレベルのちがう可愛さを目の当たりにして、息がしづらかった。それでも、友達と過ごす時間は楽しかったし、サークル活動にも励んだ。メイクやおしゃれを覚えて、可愛くないと思われないように、可愛くない人として扱われないように気を付けた。
可愛いって言われなくていいから、ブスだと思わないで。 ブス、と言われたことはないのに、そう思った。ブスと思われないために、努力した。おかげでまわりからは「やること可愛い」「笑顔が可愛い」「あざとい」「小動物みたい」とか言われた。それでもただ純粋に「可愛い」とは言ってくれないのね。
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社会人になった。会社では「仕事ができる」と評価され、飲み会では「真面目かと思ったら面白い」と評判になり、順調だった。大学時代に身に着けた立ち振る舞いが、社会でも通用した。
大学時代から3年以上付き合っていた彼に突然フラれた。結婚するものだと勝手に思い込んでいた。親族以外で、私のことを唯一「可愛い」と言ってくれた彼。涙が止まらなかった。彼のおかげでしばらく忘れかけていた「可愛い」の呪縛が恋愛・婚活市場に解き放たれたことにより、再び頭角をあらわした。
マッチングアプリの審査に2つも落ちた。驚かなかった。だって、可愛くないから。可愛いってなんだろう。どうして可愛くなりたいんだろう。可愛くないと損するから、可愛くないと傷つくから。
そう思い込んでいるだけかもしれないと、思う日もあるけど、これまでの人生で触れてきた空気や感覚を拭うのは、そう簡単じゃない。「可愛くない」に分類された瞬間の、切なさを知っている。
いつか自分のことを可愛いと思いたい。そう思える人を邪魔しない世界になってほしい。その日まで諦めたくない。