今の彼氏とは遠距離恋愛だから、週に一度の電話は欠かせない。彼氏は、韓国に住む韓国人である。電話は、大抵夜11時30分からだ。お風呂からあがって、もう寝るだけ、みたいなタイミングでする。いつもそうである。

付き合うことになった日も夜に電話していた。彼氏が韓国に帰ってから、初めての電話だった。ちなみに帰国する前に好きということは伝えていたが、終電が迫っており、それ以上話す時間がなかった。それからする、初めての電話だった。

帰国してからもLINEはしていたが、特にそのことについて触れることはなかったからだ。

私は、思ったことを黙っていられないタチなので、電話をしてすぐに聞いた。私は好きだと伝えたけどあなたはどうなの、みたいな内容で。あまりにも単刀直入である。単刀直入にもほどがある。

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確か、好きだと言われた気がする。覚えておいて、と自分に言いたくもなるのだが、もう4年くらい前の話なので、正直記憶は曖昧だ。

それ以上何かを言ってくるわけではなかった。彼氏は寡黙というよりはわりと大人しめで、そこまでべらべら話すようなタイプではなかった。

しびれを切らした私は、じゃあ付き合うっていうこと?と聞いた。よっぽど脈がない場合を除いて、お互い好きということがなんとなくわかっているのであれば、好きということ自体を確認することはそこまで重要ではない、と私は思う。

それよりも好きであるならば、付き合うのかどうするのかということが重要である。今後どうするのかだ。もしかしたら、好きということはつまり付き合うと同義でしょ、という考えの人もいるかもしれない。その主張もわかるのだが、私はあまりそういう考えが好きではない。察する、とかそういった類のものが。

以心伝心とかいう言葉もあるが、基本的にそういう言葉はまやかしだと思っている。全くないわけではないと思う、でもそれをあてにしてはいけない。

言語化して直接相手に伝えなければ、自分の気持ちは伝わらない、と思っている。

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だから彼氏に聞いたのだ、どうするのか。私が聞かなければ、何も言ってこなさそうな雰囲気であった。

そして、そういうはっきりしない状態は、私は嫌いだった。返事があるまで、なんとなく間があった。

彼氏の気持ちもわかると思った。おそらく、私も彼氏も付き合うということに関して、その時同じようなことを考えていたと思う。日本に住む日本人の私と、韓国に住む韓国人の彼氏が付き合うということは、絶対的に遠距離恋愛になるということだ。

たまたま彼氏が数週間日本に旅行に来るタイミングがあり、その時に何度か会い好きになっただけで、普段は違う国に住んでいるからだ。

外国人と付き合ったこともないし、遠距離恋愛もしたことがないし、お互いの言語が出来るわけでもないので英語で会話せざるをえず、懸念点が多くあった。

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付き合うということを考えた時にそれらがお互いの頭をかすめたわけだが、最終的には付き合うという選択をした。

付き合ってみなければどうなるか分からないからだ。付き合ってみて考えればいいと思った。考えるだけでは何も変わらない。付き合って、壁に直面し、そこで考えるだけではなく、行動を変えていけばきっとどうにかなるだろうと考えた。どうにもすることが出来ずに別れるしかないのであれば、それもまた仕方がない、と思った。

先のことなど普段はほとんど考えない私だが、さすがにその夜だけは考えた。そもそも、先のことに限らず、考えるという行為自体全然しないのだが、その夜だけは考えた。

そうすることが必要とされた夜だった。その夜から今まで、どうにか別れることなく今も付き合っている。

彼氏と何十回も電話をしてきた。その中でもやはりその電話が一番重要だった。それがなければ、今の私達はないのだから。