「私、結婚しないから」と中学生の頃から腹を括っていた私。今まで人を好きになりかけたことはあるものの、恋を発展させたことはないし、20数年にわたる人生において、パートナーがいたことはない。今後もずっと一人なんだろうなと思っている。 

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私は小さい頃、ディズニープリンセスが大好きだった。どのプリンセスも、やがては素敵な王子様と結ばれる。今見ると、女は守られるもので、いい男と結婚したら幸せになれる、結婚することがゴールみたいなステレオタイプの押し付けを感じなくもないが……。可愛くてあるいは美しくて、健気で、時には果敢なプリンセスは私の憧れだった。そして、どんな物語も最後はハッピーエンドだと信じて疑わなかった。そんな私の将来の夢は、小学校低学年の頃まで、プリンセスになることだった。

いつの間にか結婚どころか、恋愛もまでも疎んじるような人間になるとは誰が予想しただろうか。疎んじているというよりも、怖いのだと思う。自分のことは自分が一番わかっているつもりでも本当はわかっていないのかもしれない。

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私にはマッチングアプリを使用したパートナー探しに精を出している友達がいる。彼女に、私の恋愛観や好きな人のタイプを根掘り葉掘り聞かれた。誰かと一緒になるつもりはないくせに、理想がないわけではない。その友達は私が恋愛に興味がないのを承知の上で、あれこれ聞いてきた。

そして私を問い詰めた挙句、本当は恋愛したくないとか、恋人が欲しくないとかじゃなくて、恋愛や恋人を持つことを諦めてるんじゃない、と指摘してきた。その時、私はハッとさせられた。彼女の言っていることは的を射ている……。私は誰かを幸せにすることはできない、私と一緒にいると迷惑をかけてしまうから、私は誰かと一緒になれるとは思わないし、なろうとも思わない。そして、私が一人でいようというのは、社会への抗いでもある。中学生の時に、恋愛は社会の生み出した妄想に過ぎない、といった内容の小論を読んで、社会規範に従って恋愛をして自分を忘れるのは嫌だと思った。しかし、そうは言いつつも、仲睦まじい二人を見たら微笑ましいし、たまに私にも誰かそばにいてくれる人がいたらなと思わないこともいない。

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実を言うと、私は諦めることで、今までいろんな場面で傷つかないように自分を守ってきた。それは、ある意味卑怯なのかもしれないけれど、私が私として今日を生きるために、私の精神状態を悪化させないためには必要な手段であった。恋愛やパートナーを持つことについても同様だったのかもしれない。何かを失うことが怖くて、自分に色々言い訳を言い聞かせて、傷つかないように傷つかないように、「逃げて」生きてきた。

それなのに、私は身分不相応にも理想の人が、私の王子様が、私を迎えにきてくれるのを待っているのかもしれない。白雪姫が歌で歌っているように。まだ、プリンセスになる日を夢見続けて、王子様を待っている。