私は3年前のある日、衝撃的な出会いをした。目が合った瞬間、私の持っていた常識覆され、内容を理解するまでに数秒を要した。私の視線の先には、『野菜はスープとみそ汁でとればいい』という言葉が書かれていた。いつもの書店で、いつも通っているレジまでの間の通路で、たまたまいつもより視線を落として歩いていると、その言葉に出会ったのだ。

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文芸やコミックスのコーナーからレジまでの通り道を、私はその時まで通路としか思っていなかった。その日、初めて私は、通路としか思っていなかった場所に料理雑誌やレシピ本が置かれていることに気がついた。

そこで目が合ったのが、『野菜はスープとみそ汁でとればいい』という言葉。私はこの言葉に出会い、足を止めた。最初は、この言葉が本のキャッチコピーなのだと思った。現に私の足は、言葉の力で止められていたからだ。いったいどんな本なのか気になり私は実際に本を手に取った。すると、その言葉はキャッチコピーではなく、この本のタイトルなのだと知った。

私が『野菜はスープとみそ汁でとればいい』(著・倉橋利江)の前で足を止めたのは、言葉の意味を脳内で処理できなかったからだ。その言葉の前で私はフリーズしていた。

私の中でのスープやみそ汁の立ち位置は、食事のおまけ程度のものだった。今思うと、スープやみそ汁に失礼なのだが、正直なところ、あってもなくてもいい存在だと思っていた。それで、野菜をとればいいとはいったいどういうことなのか、私にはわからなかった。

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ページを開いてみると、玉ねぎのスープやかぶのみそ汁など定番なものが書かれていた。正直なところ、タイトルの衝撃と比べると無難なメニューだと思った。しかし、レシピに書かれている分量を見ると、1食分で玉ねぎをまるまる1つ使っていたり、かぶもまるまる使っていたりと、この本のタイトルにふさわしい、野菜たっぷりのレシピだった。

「たしかに、これはスープやみそ汁で野菜がとれる……」と、納得した。そして、まるまる1つ使うから、中途半端なあまり野菜が出ないので、「こういうレシピだと、献立が立てやすい!」と感じた。

そして、パラパラとページをめくっていくと、最初に、無難なメニューだと思っていたことを訂正しなくてはいけない!と反省の気持ちがあふれてきた。ページをめくった先には、トマトのみそ汁、アスパラガスのみそ汁と、日常で目にすることも耳にすることもないメニューが登場したのだ。「これは、フリースタイルみそ汁だ!!!」と、見事に私はこの本に心をつかまれていた。そして、気づいたときにはレジにその本をもっていっていた。

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私がこの本から学んだことは、「どんな野菜でも鍋に入れたらスープやみそ汁になる!」ということ。そのことに気づいてからは、献立を考えるのが楽になった。この本に出会う前の私は、副菜の組み合わせや調理手順を考えつつ、同時に予算も計算しながら買い物をしていた。料理をする前から買い物で疲れるタイプだった。

しかし、今の私は、とりあえずスーパーに行き、その日安い野菜をかごに入れる。それだけのことしか考えていないが献立が成立している。「最近、同じような具材や味付けになっているな~」と、思ったときは、初心に戻り、レシピ本を開き新たなインスピレーションを得ている。

さらに応用として、根菜類などは安い日にまとめ買いし、カットを終わらせた状態で冷凍庫に入れている。すると、忙しい日でも、鍋に冷凍していた野菜をガサっとほりこみ、調味料を入れるだけで、バランスの良い食事が食べられる。「なんて、楽ちんなんだ~!」と、毎度感激している。

『野菜はスープとみそ汁でとればいい』。この言葉を家訓にし、私はこれからもキッチンに立っていこうと思う。