私の母は、夜更かし反対派だ。夜中にトイレに起きると、必ず私の部屋の様子を確認しに来る。そして私が起きていると、早く寝るようにと怒気を含んだ声音で言うのだ。確かに夜更かしは体に良くない。電気代は嵩むし、次の日は眠気でフラフラするし、肌荒れは乙女の大敵である。それでも私は夜が、夜更かしが好きだった。それにあの時の私には、夜更かしをしなくてはいけない理由があった。

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私の母校である高校は文武両道をスローガンとして掲げていて、第一志望でこの高校に入学した私は最初、それこそが学生のあるべき姿だと信じていた。中学の頃から続けていた吹奏楽部では、朝練・昼練・放課後練に土日の練習と、命と時間をすり減らしながら活動に打ち込んだ。

勉強に関しては、一年生の時が一番真面目だった。流行り病のおかげで部活の活動時間が少なかったこともあり、比較的勉強にも集中できた。配布された手帳に勉強時間や内容、テストの目標やらを事細かに書き記し、時間を見つけては自習室に引きこもる。だからと言って勉強ができたわけではなく、学校一恐れられている教師に職員室で怒鳴られて泣いたこともあった。その上テストの点数は、いつも下から数えた方が早かった。

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勉強も音楽と同じで、才能がなければうまくいかない。次第にそう悟った私は、真面目な自分を諦めた。二年生の頃の手帳を見返すと、笑えるくらい真っ白だ。吹奏楽コンクールが再び行われるようになったこともあり、私は課題をほったらかして部活に打ち込んだ。自習室には一歩も踏み入れることがなくなった。そんなとき、初めて夜更かしを覚えた。

要するに、絶え間なくやって来る課題と戦うには夜更かしは避けられない道だったのだ。お風呂上り、自室にこっそりピンクのエナジードリンクを持ち込む。イヤホンから流れる雨の音や大好きな音楽をBGMに、膨大な問題に立ち向かう。その時間が、どこか心地よかった。夜中に甘い炭酸水を飲む背徳感だろうか。それともほかの人が寝ている時間に、自分は勉強しているという優越感だろうか。特に冬の夜は窓から見える星や肺を刺すような空気、もふもふな毛布が私の周りを包んでいて、気付けば夜中の三時。甘くて愛おしい時間だ。逆に夏の夜は暑苦しくて、あまり夜更かしはしたくなかったが、朝日が窓の外を照らし始めるのが早くて、そのおかげで得られる達成感が好きだった。

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しかし夜中の寝ぼけ眼での勉強ほど、生産性のないことはない。私は成績と交換で、その優しい時間を過ごした。夜更かしは、私の為にはならない。でも、何故か私を惹き付けた。他のどの時間よりも静かで、柔らかい。そう思えたのだ。そして夜が好きなのと同じくらい、朝が嫌いな私だった。

今の時間は、深夜零時半。過去三年間の手帳を見返しながら文を書く。大学生になった私は一時までには寝ようと思う。ピンクのエナジードリンクは、甘さがくどくてもう飲まない。朝は遅くても八時には起きる。手帳に残る黒い汚れやカッターナイフの跡を指でなぞりながら、高校時代を思い出した。エッセイを書くのも、昔のことを思い出すのも、朝にするのは少し気恥ずかしい。

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最近の私は、夜に嫌なことを思い出したり、考えたりしてしまう。誰かにずっと監視されているような、一方でどこまでもひとりぼっちのような気がする。いつか社会の歯車になること。いつか誰かの死を見守ること。いつか掛け替えのない思い出を忘れること。そんな些末なこと達が、脳みその端から端までを埋め尽くして、ぐるぐると廻るのを止めない。夜更かしは今の私には、体に悪いどころか心にも良くないらしい。

当時に比べてより多くの人と知り合い、たくさんの曲とすれ違った。自分を取り巻く環境は目まぐるしく変わっていくのに、私の精神性は成長しないまま、さらに深い夜に潜り込みたくなる。いつかまた、昔と同じように、夜を大切に思えるだろうか。この、言葉の掃き溜めのような夜を。そんなことを考えながら眠りにつこう。