女性にとっての幸せはなんだろうか。

仕事での昇進?愛している人との結婚?社会においての自由を得ること?

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社会人二年目の私は、最近日々こんなことばかり、考えている。

というのも、最近、このようなキーワードを基にしたドラマや漫画が増えている気がする。

ドラマをぼけーっと見ながら、嫌でも自分の将来を考えてしまう。

仕事を任せてもらえることも増え、年度から社内で初の女性営業職として、昇進させてもらった。私の務める業界は、圧倒的に男性が多い。同世代も少ない上に、取引先の担当者はほとんど役職持ちの上役ばかり。

会食では、上司や取引先の方にお酒を注ぎ、場をなごませるような会話をしたり、その場に応じてのキャラを演じたり、帰り道、家までの路地を歩きながら、ふと思う。

私は、こんなことをするために営業職になったのだろうか。いつから、私は人が求める人物像を演じることに慣れてしまったのだろうか。

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別にそんなことをする必要もないのだと思う。

だが、やはり若手の女性営業は、色眼鏡で見られることが多い。

仕事の成果はもちろん、立ち回り、言葉遣い、気の遣い方。女性営業は加点制なのだ。

昨今、女性営業や女性管理職を増やしていこうという風潮がある。ここで、よく出てくる言葉が、“ガラスの天井”だ。

“ガラスの天井”とは、1980年代後半に生まれた言葉で、女性のキャリアパスを阻む、見えざる障害を意味した比喩表現である。

事実、“ガラスの天井”はこの約50年間の間で、誰にも打ち破られていない。

それでも、以前と比べると天井に近づいた女性はかなり増えた。だが、ほとんど広告塔や話題性としてであり、順風満帆のように見えた、天井へと続く階段は、道半ば途切れてしまう。

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誰が、途切れた階段から、意を決して、天井まで飛び上がってくれるだろう。

飛び上がったものの、天井には手が届かないかもしれない、一度落ちてしまえば、今まで駆け上がってきた階段は瞬時に高すぎる壁と化す。

だからこそ、多くの人々は途中で、違う階段を上り始める。それが結婚や出産・育児である。

どのタイミングで、階段を変えるかは人次第だ。

実際、今私の周りでは第一次結婚ブームが到来している。SNSを見ても、結婚や出産の報告写真によく目を奪われる。いつの間に!?と思うこともしばしばである。

だが、今の私にとって、“結婚”というキーワードはおもりのついた鎖のように感じる。

その言葉を投げかけられると、すぐに心の扉を閉めてしまう。

特に、私の年齢では、これからの交際は結婚を見据えたものになる。それが余計に私の足取りを重たくさせる。

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この間、好意を暗に伝えられた男性と、話の流れで味噌汁の話になった。

「好きなお味噌汁の具の話をしよう!」

「んー、なめこか、わかめですかねー」

「ちょっと寂しくない?? 自分はネギと豆腐とじゃがいも、かな!」

(ああ、私、この人とは絶対結婚できない、、)

この時点で、私の心のシャッターは、物凄い音を立てて、閉まったのだ。

もう一つ、話をすると、先日、小さい頃から可愛がってくれていた親戚のおじさんが亡くなった。

生前、おじさんは奥さんの作った料理しか口にしなかった。病院のご飯など、もってのほか。

「あいつが作るご飯が一番美味い!そん中でも、味噌汁が一番や。シンプルやけど、それが一番美味いんや。」

もう何年も前に交わした会話なのに、この言葉はずっと覚えている。

たかが、味噌汁。しかし、こんな些細なことでも、価値観のずれは後に大きなひずみを生じさせるのかもしれない。

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そんな違いさえも愛したい、それでも彼と生涯を歩みたいと思える人は、いつ私のもとに現れるのだろう。それとも、恋愛は諦めて“ガラスの天井”を自分が砕こうと思える仕事に出会えるだろうか。素の自分で仕事を楽しいと思える日が来るだろうか。

考えても仕方がないことだろうが、この答えを自分で出せる日を私は今までも、これからも待ち続けている。