私にはずっと信じて待っているものがある。それは「運命の人」だ。
いきなり何を言っているのかと思われるかもしれないが、私は本気だ。
それに、「運命の人」は万人が望んでいるものであるだろう。その証拠に、世の中には運命の人に関わる書籍や、インスタグラムの投稿など、様々な形で運命の人が誰なのかを探すツールであふれている。
では、運命の人とはどのような人なのだろうか。
高身長?イケメン?高収入?優しい?挙げだしたらキリがない。
自分にとっての運命の人の定義は「愛とはなにか」を理解している人だ。
真の愛とは「相手のことを全て受け入れる」ということだ。
良い部分はもちろん、悪い部分も受け入れる、ということだ。
「そんなの当たり前だ」と、思われるかもしれないが、意外とこれが難しい。
私の見る目の問題なのか、世の中そんな人がいないということなのか。
ある時期すごく悩んだことがある。
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好きな人ができるけど、良い展開にはならずにいつも終わる。
「きっと自分に問題があるのだろう」と考えてみるが、その悪かった部分が本当に合っているのか、分析違いなのかの答え合わせはできない。
しかし、時が経ち、新しい人と出会っていくうちに「自分だけが本当に悪かったのだろうか」という考えに辿り着いてしまったのだ。
もちろん、悪かったなと思う部分もたくさん思いついた。
そこは改善している(つもり)。
だが、自分の大切にしたい価値観などを曲げてまで関わる必要があるのだろうか。
時折感じるのが、世の中の「男性」と言われている人達は、バリバリ仕事をし、自分の夢に向かって進んでいる姿が「かっこいい」とモテポイントになるだろう。
だが、女性が仕事を第一にする、社会に対して声を上げる、こうした姿は「強そうで怖い」「意識高そう」と言われ、敬遠されている気がするのは気のせいだろうか。
もちろん、全男性がそのような考えではないと思ってはいるが、少ないのは事実であろう。
女性が自立に向かって進んでいる社会であることは、とても大切なことであり、人生を歩む上で、性別関係なく必要なことだ。
しかし、社会全体でそのような認識があるのは分かってはいるだろうが、「無意識下」ではどうだろうか。
ドラマで描かれる「キャリアウーマン」という設定の役は、大多数が未婚であったり、彼氏がずっといない設定である場合が多かったりするのは気のせいであろうか。
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このように世の中を悲観的な見方をしている自分がいることも、出会えない要因の1つであるし、虚しい、というのも十分分かっている。
しかし、無意識領域でそう思わせる出来事が周りに多いのも事実だ。
しかし、私は自分にとっての運命の人を諦めたくない。
それになんとなくだが、今のこの信念や価値観を持ち続けていれば、必ず出会えるだろう、と根拠のない自信があるのも事実だ。
ただの現実を見ることができていない、夢見る少女かもしれない、という自覚もある。
だが、夢を描かなければ、自分の理想も分からないし、理想と出会ったときに「これだ!」と、気が付くこともできないだろう。
理想が高いと言われても、この考えは曲げたくない。
曲げてはいけないと思っている。
そして何事も「叶う」と信じることから始まるし、それに向かって少しずつでも動き続けることが大切だ。
そう強く信じながら、今日も私はどこかで「運命の人」をずっと待っている。