私はずっと、「やるやる詐欺」を繰り返していたなとこの頃思う。
「何かを発信したい」そう過去の日記には毎日のように書きなぐられていて、それはコロナ禍から続き現在に至るまでずっと変わらずじまいだった。
毎日のようにインスタグラムでキラキラするみんなの人生のハイライトの一部を見て羨ましがり、そして自分の境遇と対比していた。
私にはあれがない、これがない。すべてを言い訳にする材料だけはあって、それがやるやる詐欺につながったのだ。
「羨ましいなら自分がやれ」そう一言だけ書かれた日記のページが、当時のすべてを物語っていた。
自己愛の塊じゃんとSNSを見ることに疲れ果て、ベッドに投げたスマホだって、その中には一歩踏み出したインスタグラマーやYouTuberがいたのだ。そう、彼らは一歩踏み出したのだなと今になって思う。
だけど、私には到底なれっこない、羨望のまなざしがゆえの嫉妬だった。
◎ ◎
そんなこんなで社会人2年目になり、やっと仕事も板についてきたと感じる。
会議会議の毎日だって、報連相をしっかりしなさいと言われる日々だって、私は今日も懸命に生きている。それでも生きているのだと胸を張って言える自信もついた。
あと足りていないことといえば、休みの日のスパイスだ。疲れ果てて昼まで寝る日々も悪くないが、やっぱり「何か」がしたくてたまらなくなった。
そんなとき、死ぬまでにかなえたい100のリストというものを作ってみた。
内容は様々で、例えば映画館でビールを飲んでみるだとか、鹿児島1人旅に行くだとか。大好きな東野圭吾シリーズを読破するだとか、恩師についてかがみよかがみでエッセイを書き、それを恩師に見てもらうだとか。
そしてそのどれもが小さなものだとしても、私は1つずつクリアしていこうと決めた。きっとそのノートを書かなかったら恩師とも、エッセイがきっかけに再度連絡を取り合うこともなかっただろうし、鹿児島に思い切って旅することもなかった。
なにもかも、私の行動で今日はできているのだと知った。
◎ ◎
そのノートにSNSで発信をするという文字を書いたのも、自分だった。
私は何を発信したいのだろうと考えたときに、伝えたいことなんて日常の些細なことでもいいんじゃないかと思い立った。日々考えているあれこれ、大好きな編み物をしながらの日常。へたくそでもいい、ピアノの練習風景を載せてみようだとか、お勧めの本を紹介してみようだとか。
そうして私はついに先日YouTubeを始めた。
編集がめんどくさいだとか、誰も見てくれないだとか、そんなの飛び立つ前の言い訳にしか過ぎないと後になって知った。案外編集は楽しくて、今の1番の生きがいになっている。
しかも、先日初めてコメントをもらった。「あなたの動画が最近のお気に入り。日本の誇りです」。
どこの誰かもわからない、そんな誰かからのメッセージに胸が高鳴る深夜だって、緊張の先にあったものだ。
人は、最初は何もかも否定から入りがちだ。私にできるわけがないと思っていることでも、できなかったらその時に考えればいいのではないかと、私に勇気をくれたYouTube。
ありがとう、これからもずっと続けられるように頑張っていきたい。