私と干支が3周りくらい違いそうな同じ部署のおじさんが、私の手の中にあるお弁当を見て言った。
「毎日お弁当作ってきてて偉いね〜!すごいよ!」
へらへらと誤魔化すように愛想笑いを交えながら、ありがとうございますと返す。あまりお弁当をじろじろと見られたくなくて、急いで電子レンジの中に隠した。温めボタンを押すと、鈍い電子音と共に回りだす私のお弁当。おじさんは隣にある流し台でカップ焼きそばの湯切りをしているから、もう少し話に付き合わなければならなかった。
昼休み開始直後の職場の休憩所は、食事の準備をする人やお喋りに花を咲かせる人たちで騒がしい。
◎ ◎
「俺なんか毎日カップ麺だよ」
「たしかにそうですね。飽きませんか?」
「いや〜そうだけど、ウチのは作ってくれないからさ〜」
オレンジ色の光の中でぐるぐると踊る私のお弁当。自分で作れよという言葉を唾と共に飲み込んで、私はもう少し我慢する。だって温かいお弁当の方が美味しいから。まだ電子レンジが止まっていない。
「あれですか、料理とかは全くしないんですか」
「いや無理無理。やっぱマメな女の子とは違うからさ!」
”カーン”
試合開始の合図。おじさんの言葉を認識したと同時に、脳内でコングが鳴り響いた。
◎ ◎
私は全く『マメな女の子』ではないし、元々料理が出来たわけでもない。実家を出るまで、家庭科の授業以外でまともに米を炊いたことも、味噌汁を作ったこともなかった。就職と同時に一人暮らしをスタートさせてから、毎日お弁当を作っている事実が自分も家族も信じられないくらい。
けれどそれも、続けられるような工夫と努力をしてきた結果なのに。女の子だから、という理由で全てをまとめられてしまうのは、眉間に力を入れないと涙が零れてしまいそうなくらい悔しい。女の子は全員マメなわけではないし、例えマメだったとしても生まれつき料理が得意なわけではありません!
脳内の私は、おじさんにファイティングポーズを取った。ギャラリーは、いけ!やれ!と熱い野次を飛ばす。マスクの下で乾いた唇を舐めて、口を開こうとしたとき――……
”チーン”
温め終了の合図。さっきまで回っていたお弁当は、ぴくりとも動かなくなった。真っ暗な闇の中から救出してあげようと、レンジの扉にすぐさま手をかける。ホカホカ熱々のお弁当。冷めないうちに食べた方が美味しいから、私はやっぱり我慢する。
◎ ◎
「あ、温め終わったのでお先に~」
ソースと麺を絡めているおじさんに別れを告げて、お弁当を抱きしめながら自分のデスクへと戻った。対戦相手のいなくなったリングで、脳内の私は立ち尽くしている。ホカホカのお弁当より先に、冷たいお茶を口に含んだ。
「っていうことがあったんだよ~」
帰宅後、私は衣食住を共にしている彼に今日あったことを報告した。彼は夕飯の仕上げをしながら、私の話にうんうんと頷く。当時残業が多かった私よりも1~2時間帰宅が早かった彼が、その日の夕飯と次の日のお弁当を作ってくれていることが多かった。そう。
「今日のお弁当作ってくれたのも、彼君なのにね」
恐らくマメに分類される男の子の彼が、作ってくれたお弁当。それを私が作ったかのように褒められるのは気まずかった。結果的に嘘をついてしまった罪悪感がないわけではないけれど、おじさんの方がおかした罪は重いから、今回は気にしないことにする。
だってこれは1年以上も前の出来事なのに、こんなに鮮明に記憶に残っているのだから。私はまだおじさんの言葉に立ち尽くしたままだ。
◎ ◎
彼みたいなマメな男の子もいるし、私みたいにマメじゃない女の子もいる。料理をする男の子もいるし、しない女の子もいる。どうしてそんな窮屈な分類の仕方をするのか。
出産など、身体的な特徴によって出来ることが限られてくるものも稀にあるけれど、そうじゃないものは大抵繰り返しやっていたら出来るようになる。だからマメな人でもそうじゃない人でも、男でも女でも、出来るようになりたい人はやってみればいい。
私と彼もそうやって、ほぼゼロから自炊を身につけた。男だから女だからではなく、私たちが幸せに効率的に生きていく手段の1つが自炊だっただけで、毎日お弁当を作っていても偉いわけではない。コンビニ弁当でも毎日外食でも、家事を最低限しかしてなくても、その人の幸せの基準に沿っていればそれでいいのだ。
エッセイを書いた今なら言える。昔よりも自由に生き方や幸せを選べるようになっているこの時代に、性別でやれることとやれないことを決めつけるのは、 「もったいないよ、おじさん」