推し、という単語がこの数年でかなり定着してきた。
推しとはいわゆる「好き」とか「〇〇のフアン」みたいな意味合いの言葉である。
推しがいる人のパワーは凄い。
推しというとアイドルのようなイメージが強いけれど
ありとあらゆるところに推しはいる。
例えば私は仕事で演歌歌手の方々や、そのファンのシニアの方々に会うことが多い。
そして日々推しへの愛とパワーを実感させられている。
杖のついたおばあさんも「〇〇くんに会いに来たんだよ〜」と頬を染め、演歌歌手もしっかりとおばあさんの手を握って「長生きしてね」と微笑む。
「冥土の土産だわ〜!!!」
「だめだよー、100歳、120歳と元気でいなきゃー」
そんなやりとりを横目に、誰かを推すことは寿命さえも延ばすんじゃないかと思う。
◎ ◎
さて、そんな私にとっての推しとは。
私はこの3年程プロレスラーの橋本大地選手を推している。
強面でやんちゃそうだけれど、真面目で時におちゃめで、180センチ100キロでいかにもレスラー!な見た目だけれどサンリオが好きというギャップに加え、力強く華のある試合に惹かれ推している。
プロレスラーは試合会場などで売店に立ちグッズを売るので、「みかん」だから「オレンジちゃん」と呼ばれ、光栄にも覚えていて下さっている。
プロレスラーを推すと、殴られても、蹴られても、立ち上がるその姿に、感化されて、世知辛く生きづらい世の中を戦う力を貰える。
いわば剛と柔なら「剛」の力をくれる推しだ。
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しかしこの半年ほどで私はまた違ったジャンルの推しが出来た。
お笑い芸人である。
私は長きに渡り、不安障がいだとか、パニック障がいだとか、摂食障がいだとかとにかくメンタルの弱さは豆腐レベルであるが、ここのところはそれが特に酷く症状が出てしまって、大好きなプロレスにもあまり足を運べないほどだった。
そんな中でテレビに出ていたお笑い芸人さんに急速に惹かれてしまった。
結婚や彼氏彼女と違って、推しはひとりだけというルールはない。
ひとりの推しと添い遂げろ派の人もいるだろうが、私の持論は推しは何人いてもいいし、なんなら多ければ多いほど寿命が伸びるのではないかと思っている。
お笑い芸人さんの推し、それは見取り図の盛山さんである。眠れぬ夜を超えて朝を迎えて、皆が明るく楽しく1日を始めるというのに私だけが世界から取り残された気分でかけた朝のバラエティ番組……そこに盛山さんが水曜日のレギュラーとして出演していた。
第一印象は「破天荒」だけど、他の共演者の方への気遣いが上手ということが、この小さく古いテレビ画面からも伝わってきた。なにかそこに惹かれるものがあった。リモコンを置いて気がついたら釘付けになっていた。
たくさん畳み掛けるように面白いことを連発して、どこか小学生の時にクラスにいたお調子者で目立ちたがり屋の男の子をなんとなく思い出させた。
◎ ◎
私自身は笑うのが下手なので、人の笑う顔が好きなのであるが、ワイルドな風貌だけどニカーッと屈託なく笑う顔がなんかいいなと思った。
つられて久しぶりに笑顔になっている私が窓硝子に映りびっくりした。
ゆっくりと開ける窓硝子の向こうは澱んだ繁華街の喧騒が残る埃っぽい空気が漂っていたけれど、朝に少し笑うことが出来ると、昨日まで1日1日必死に生きてきたけれど少し心に余裕が持てた気がした。
それから見取り図がレギュラーで出ている水曜日の朝のバラエティ番組が1週間の楽しみになった。
木曜日の夜にもレギュラー番組が、月曜深夜にも、そして月曜の夜の番組が始まった。恥ずかしながらファンレターまで出した。
生きることがしんどくて、ここでもう断ち切ってもいいなと思う日もあるけれど「来週の放送は〜やるんだよな」と思うとそれを見て笑いたい私がいて、生きていてもいいんじゃないかと少し思えた。
病んだ心に笑いは、まばゆく、そしてすごく染みた。
病んでいると心はどんどん弱っているのにどこか刺々しくなる、けれど見取り図の盛山さんをテレビで見かけるだけでなぜか頬が緩んだ、その感情が「推し」とすぐに気がついた。
プロレスラーの推しは生きる中で戦う力をくれるけれど、お笑い芸人の推しは生きる中で肩の力を抜かせてくれる、「剛」と「柔」なら「柔」をくれる。
どちらもなくてはならない推しになった。
◎ ◎
そんな私の今年…やりたいことは、年内に生で推しを見にいくことである。
アイドルファンやバンギャの友達は「遠征だ」とあっちこっち夜行バス、新幹線で駆け回ってるし、世界的に有名なバンドファンの友達の中には推しを見る為にNYまで行っちゃった子もいる。
推し活はパワーがいる。
一方私は好きなものがあってもあまり活発に推し活をするタイプではないし、そもそもちょっと足を伸ばすだけでも頓服薬が手放せないし、暗い所と狭い所が苦手だから地下鉄には乗れない。
けれど今は心の底から思わずにはいられない、生であの推しの声を聞きたいと。
そうしたら来年もっと強く生きられる気がするから。