今年のうちにやりたいこと。
それは、親戚に結婚の報告をすることだ。

と言っても、今はまだ、同棲もしていなければプロポーズだってされていない。

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ただ、「いつになったら」という話をパートナーとしていて、その「いつ」がいよいよ明確になって、その将来が手に届きそうなところまで近づいてきたために、それに付随する諸々の準備を進めている、という段階である。

今は、実家に帰る機会は多くあり、同じ地元に親戚もいるということもあって、少なくとも1年に1回は顔を合わせて、仏壇に手を合わせることもできていた。

だが、その時が来たら、わたしは地元を離れる。

いつか戻ることがあるかもしれないが、向こう数年は地元を離れて過ごすことを決めている。だから、実家に帰ることはおろか、地元に帰ることも減るだろう。

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最後の帰省かもしれない今年の末には、親戚にきちんと報告をし、お墓に眠る御先祖様にも手を合わせたいと思っている。

正直、親戚のことはあまり好ましく思っていない。

もちろん、感謝はしている。してもしきれないほどである。
わたしの進学や就職に関することや生活するのに必要不可欠な部分でたくさんの工面をしてもらった。

この恩がなければ、きっとフェードアウトしていた関係だろう。

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彼らは学歴で人を選ぶのだ。国立とか、公立とか、私立とか、そういうところで人を馬鹿にするのだ。働いて自立していても、大学を中退していたら「まだふらふら遊び歩いて」と言われるのだ。

彼らは職種で人を選ぶのだ。国家資格に残念ながら不合格だったら、今がどんなに高給だろうと「国家資格に不合格のくせにね」と言われるのだ。 

大きな迷惑などかけていないのに、自分の世話は自分でしているのに、ただ、ちゃんと生きているだけなのに、「そんな風にしてるとあの子みたいになるよ(笑)」と言われるのだ。

なんと傲慢な。
最低である。

そんな人に、わたしの財産を1ミリでもかけたいと思えないのだ、わたしは。

それでもわたしは、有給を取って、公共交通機関のチケットを買って、お土産をこしらえて、時間を作るのだ。

丸くなるってこういうことを言うのかもしれない、と思う。

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親でも、先生でも、上司でも、年上でも、おかしいと思ったら「おかしい」「理解できない」「説明して」と反発してきた。

何度もぶつかって幾つもの戦争を経験してきた(わたしの中ではそれほどの労力と熱量であったということである)。

それを英雄かのように讃えてくれる人がいた一方で、「尖ってるよね(笑)」と揶揄してくる人も多くいた。

そしてわたしのことを昔から知っている人からは、「丸くなったよね」と言われることも多くなった。「昔はもっと尖ってたよね」と。

壮絶な戦いは何度も経験したけれど、それ以上に、理不尽な扱いを受けて笑ってやり過ごしたことも、ステレオタイプな人間の無茶振りに二つ返事で了承したことも、大嫌いな相手にだって腰を深く曲げて感謝や謝罪の言葉を発したことも少なくはなかった。

それで守れるものがあると心得たのだろう。鋭利に尖っていたものも、へらへら笑って、黙って耐えて、歯を食いしばって頭下げて、擦れて、減って。そうやって人って丸くなるのかもしれないなあと、ふとそう思った。

だからわたしは、何度も何度もわたしの大切な人を馬鹿にして貶して傷つけてきた相手でも、恩がある限り、時間もお金も心も全て使って、わたしの人生にとって大切な報告をしに行くのである。

これできっと、大切な人のことを守ることができると信じているから。
それが今年中にやりたいこと、わたしがやらなければならないことだと思っている。