2021年を振り返ると、自分のやりたいこと・挑戦ができて、比較的充実した一年だったと思う。一方で、自分の“できないこと”を実感して精神的に苦しい一年でもあった。それはなぜか。

結婚式開催に奔走した半年は、悪く言えば他は出来なかったという不安

2021年、人生最大イベントといっても過言ではない、自身の結婚式があった。
春先から本格的な準備や打ち合わせが始まり、夏には様々なアイテムの準備や手配をし、秋に無事開催できた。良くも悪くも人よりこだわりが強いため、準備することが多く、楽しかったが大変だったと思う。
また、なんといってもコロナ禍での開催だったため、気を遣うことや準備することが平常時より多かったことは間違いない。結婚式開催のために奔走した約半年間だったが、悪く言えば「結婚式のことしか出来なかったのではないか」と思い、不安になる。

結婚式は人生一度のつもりで臨むものだから、後悔しないように、私は全力で準備してきた。しかしその結果、夫婦で続けていたブログ投稿や動画投稿といった活動は、しばらくストップせざるを得なかった。また、以前から続けていた資格の勉強が思うようにできなかった。
日々過ごす中、ふとした時に「あぁ、今日もできなかったな」と思い、自分自身が嫌になった。

ことあるごとに完璧主義が顔を出して、自分自身を責め、苦しめていた

自分の人生を振り返ると、ことあるごとに完璧主義が顔を出して、自分自身を苦しめていたような気がする。
「やるからには100%の力で」
「できる限り完璧な成果物を」
「すべてのノルマを終わらせるべき」
勿論、ずっとそんな全力全開だったら、どこぞのヒーローでもない限り疲れてしまうだろう。ずっと完璧でいるなんて無理だと、十分分かっているつもりだ、頭の中では。
しかしどうやら、心の根底にはその意識があり、ことあるごとに自分を責めてしまっている。
「今日も完璧じゃなかった」と。

そして私は、自分の身近な「効率よく動ける人」と自分を比べてしまいがちだ。
夫は、私に比べ一つ一つの行動・活動のスピードが速くて無駄が少ない、時間を使うのが上手い人だと思う。一方私は、よく言えば丁寧だが、悪く言えばスピードが遅いし、無駄な時間が多いかもしれない。私が時間をかけてやることを、彼は軽々と短時間で済ませてしまい、やはり自己嫌悪に陥るなどしている。
また、私の父も同様に行動がスピーディーな人だ。更に早朝から活動的な人で、私が幼い頃、朝から書斎で資格勉強をしていた姿は印象的だった。そんな父を見習おうと、朝早く起きて勉強をしようとした時期もあったが、就寝時間が遅いこともあり、結局早起きは続かなかった。

私は私を幸せにする義務がある。まず、自分を責めるのはやめよう

周囲の人と比べては「できない自分」「完璧ではない自分」を責めてきた。
しかし、最近気が付いたことがある。せっかくの私の人生、なぜ自分で自分を不幸にしているのか?と。私は私を幸せにしてあげる義務がある。まず、自分のことを責めるのはやめようと思った。

完璧でなくてもいいじゃないか、そのままの自分を受け入れよう。“完璧”を目指すなら、そうなれるように、ゆっくりでいいから頑張ってみよう。「完璧じゃなくてもいいや」と思える時は、完璧じゃなくていい。
他の人と比べても仕方ない。一つ一つの丁寧な行動は長所だし、一見無駄に見えるものが大切な時だってある。私はそんな風に手のかかる私を、なんだかんだ言って気に入っている……気がするから。
私の人生、私が叶えたい夢のために、掴み取りたい幸せのために、自分を認めながら頑張っていきたい。完璧じゃなくてもいいから、ゆっくり頑張りたい。

そんなことを考えながら、「結局は計画性だよな~」と苦笑いしている。 まずは苦手な「計画的な行動」をほどほどに頑張ってみようかな、と思う。来年の今頃は「2022年、私頑張ったな~」と言えるように。