人は誰しもいくつかの顔をもつ。
そんな言葉は私にとって都合がいい。
「ほんと完璧だよね!」
これが私にとっての最高の褒め言葉だ。
◎ ◎
私の一人称はわたし。
わたしはそう思うけどな〜。
とにかくわたしが一番大事だ。
その分、他人から見られるわたしが評価されるたびに本当の私の私が小さく見えてくる。
わたしってなんだろう?鏡を見つめる私がわたしに問いかける。私は、毎朝1時間半かけて作り上げるわたしに一体何を求めているのだろうか。
悩んだ挙句見つけた答えは、私は、褒められるわたしのことが好きなんだ。でもそれが私にとって本当に幸せなのだろうか。
自分で言うのもあれだが、正直わたしはみんなの憧れの的になることが多かった。
中高時代、垢抜けない私はとりあえず勉強とおしゃれを頑張った。定期テストの成績はだいたい一番だったし、わたしが好きといったアーティストは女子の間で瞬く間に流行り、塾におしゃれしてくと次に同じような格好をしてくる子がいた。
今風に言えば、身近なインフルエンサーだったのかもしれない。こう言うと自慢だと思われるかもしれないが本当にそうだった。
◎ ◎
私は大学入学を機に上京した。一人っ子の私を側に置いておきたい両親は地元に残るよう説得してきたが、私はもっと広い世界でわたしを試したかった。東京は垢抜けた素敵な人が沢山いるからわたしはきっと芋女として扱われるのだと思っていた。しかし違った。またしてもなんちゃってインフルエンサーだった。
ある日、ゼミで今までの失敗体験を語る機会があった。その時に友達から言われたことは
「メイちゃんって、失敗したことなさそう。」
そう、完璧なわたしを演じることで他人から褒められるわたしに私はすっかりハマってしまっていたのだ。でもそれって本当に幸せなのだろうか。完璧を演じるわたしが大きくなるたびに本当の私は小さくなるのだ。
本当の私はズボラだし、スッピンの目はシジミだし、ダラダラしたいし、パジャマでテレビ見ながらポテチを食べるのが大好きだ。
それでも私はわたしを演じることをやめられない。もし完璧なわたしじゃなくなったら、わたしの周りから人が消えるのかもしれないと思うと怖いのだ。
◎ ◎
人は誰しもいくつかの顔をもつ。
自分にそう言い聞かせる。
私の生き方はそれでいいんだと。
正直、ダメな私も見せていったほうが気は楽である。
「メイちゃんってちょっと抜けてるとこあるんだ!」と言わせたい。
そんなギャップが可愛いと思わせたい。
そうするのも周りから良いと思われたいという結論に行きつく。結局、私は他人からの評価でしか生きていけないのかもしれない。
◎ ◎
ああ、誰かダメな私もひっくるめてありのまま受け入れてくれないか。そんな人が現れたらいいのになという淡い期待さえ感じる。完璧なわたしを演じることで完璧なわたしを好んでくれる人は寄ってくるものの、本当に心から愛してくれる人とはまだ出会ったことがない。まさかだが、出会いのチャンスを失っているのかもしれない。
それでも、ショーウィンドウに映るわたしは今日も着飾り、完璧ぶる。不器用な私はそうするしかないのだ。
そうやって、明日も私はわたしを演じて生きていくのだ。これが私の生き方なのだ。いつかわたしが私になる日までは。