私が大学生の頃に母方の、そして3年前父方の祖父をそれぞれ亡くしている。
母方の祖父は頭もキレており、介護など必要ないままこの世を去った。
「おばあちゃんは寂しいかもしれないけど、おじいちゃんは私たちに苦労をかけさせないために旅立ったのかもしれないね」
母方の実家を片付けている時に呟いた母の言葉が今でも脳裏に焼き付いている。
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父方の祖父は90歳半ばでの別れとなり、最後はケア施設で祖母とヘルパーさんの力を借りながら生活していた。
ギリギリまで実家にて祖母が一人で介護をしていたが、どうしようもなくなり二人でケア施設へと入居した。
「一人で頑張らなくてもよかったのね」
入居してしばらく立った頃、会いに行った時に呟いた祖母の言葉を今でも時々思い出す。
対照的な祖父を見届けた私は、親が、そして自分が年老いた時をどう迎えるか今はまだ答えが出ない。
老い、それは人類が逃れられないものの一つである。
平凡に生きている人間も、人類のために大きな功績を残した人も等しく訪れる老い。
昔より夜更かしができなくなったこと。
脂っこいもの一択だった昔には考えられないほどに野菜が好きになった。
出来るようになったことより、出来なくなったことの方が多い。
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目新しいものが減り、一から何かを達成する機会自体が減っているということも言えるが、 20歳後半の私でさえも、いつからから、老いというものを感じ始めていた。
そんな私よりも遥かに人間としての経験値を積んだ両親が老いを感じるのは必然であり、祖父母が老いを感じるのは逃れられない事実であると言える。
以前、父方の祖父を訪ねたときも、会話すらままならない状態に、思わず部屋を飛び出した。
いつまでも変わらないと思っていた。
叱られることもあったが、いつまでも元気にはつらつとした姿でいると思っていた。
昔の、自分が生きていた時代の常識を押し付けてくる祖母。
見ない間に皺や白髪が増え、新しい時代に少しずつ取り残されていく両親。
私の中でなんでもできていた祖母や両親。
彼らの愛情を受けて、様々なことが出来るようになったにも関わらず、老いる祖父母、両親を目の当たりにした時、悲しさがとめどなく溢れてくる。
時にはなぜそんなこともできないのか、と怒りが湧き上がることも少なくはない。
老いが訪れるのは仕方がない。
ただ、私はこれからもずっと、私の大好きな人たちと今まで通り生活がしたい。
ただそれだけを祈っていたはずなのだ。
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父方の祖母は祖父のことが好きだった。
それでも、ケア施設へ入居する直前の祖母は疲れ果て、小綺麗にしていた髪の毛はすっかり白髪に染まっていた。
私は祖母も両親も大好きだ。
しかし、人生を共に歩んだ祖父の介護をしんどそうにしていた祖母の姿を見て、確実に老いている彼らの現状を目の当たりにして感じる負の感情を前に、いざ、自分が介護をする身となった時、どうなるのかが非常に不安である。
ここまで育ててもらった恩を忘れ、厚かましくも当たり散らすなんてことがあれば、自分自身が嫌になりそうだ。
大好きだからこそ、最後まで真剣に向き合いたいし、一緒にいたい。
彼らへの愛情と、自身の持つ負の感情を天秤にかけて悩む日々は続く。
それでも、介護をする暇もなく別れるようなことが、ある日訪れないとも言えない。
先への不安もあるが、今は毎日明日を迎えられるこの状況に感謝をして、有限である大切な人たちとの時間を大事に過ごしていきたい。