「お母さん、おはよう!今日は天気がいいよー!」声をかけても、返事はない。

私の目の前にいるのは、半開きの目、ぽっかり空いた口、こけた頬、浮き出る骨盤、指はプリッツみたい。そんな人だ。「目の前に横たわる人は誰だろう?」

母の姿を目の前にして、私は考える。「私のお母さんはどこに行ったんだ?」

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2ヶ月前、母の介護が始まった。母の命はそろそろ終わりを迎えるらしい。

急な出来事だったが、私は急いで職場に介護休業を申請し、実家に戻ってきた。

食事の介助に、薬の管理。排泄は私が薬でコントロールする。訪問入浴に、訪問診療の手配。毎日の保湿と着替え、たまに手湯。定期的に床ずれ予防をし、夜中でも痛み止めのケアを行う。家にはナースコールがないから、私はずっと母のそばにいた。しかし私は看護師でも、介護士でもない。未経験の素人がケアをするので、できることは限られるし、知らないことだらけ。毎日が夜勤のようで、つらいことも多かった。

その中でも、一番つらかったものが「せん妄」だった。(終末期の患者さんによく見られる意識障害。イライラして攻撃的になったり、幻覚が見えたりとさまざまな症状がある)

「なんでみんな居なくなっちゃうの!!!!」母は急に大声をあげる。27年間一緒にいて、初めて母の怒鳴った声を聞いた。

「いるよ、ここに。いっつもそばいるんだよ……。」震える声で私は答えた。

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母は穏やかな人だった。いつも優しく、ニコニコ。いつだって私の味方でいてくれた。だからこそ母が叫ぶのは、せん妄のせいだって分かっている。頭で分かっていても、それでも、怖かった。もう優しい穏やかな母には会えないのだと悟ったとき、胸が張り裂けた。

2ヶ月もすると、母の姿はすっかり変わってしまった。声は出ず、乾いた空気だけがヒューヒューと喉を通っている。体温調整もできなくなり、1日に35度〜40度を行き来する身体。食事は摂らないのに、体の水分は最期まで尿として排出されていく。訪問診療の先生から、あと数日でしょう。と伝えられる。

「目の前に横たわる人は誰だろう?」

私を育ててきた優しくて、キレイで、穏やかな母はもういない。もう、会うことはできない。

それなのに不思議だよね。それでも、生きていてほしいと願う。あなたの鼓動を、命を感じていたい。話せなくてもいい、何も食べなくてもいい、それでも呼吸を続けてほしかった。1日でも、1時間でも、1分でも長く、とにかくなんでもいいから、少しでも長く。

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半開きの目、ぽっかり空いた口、こけた頬、浮き出る骨盤、プリッツみたいな指とはもう、火葬場でお別れをした。母の介護をすることで、私は母と二度、お別れすることができたのだと思う。始めに母の心と、そして母の身体と。

余命宣告は残酷なように思えるが、お別れの時期を教えてくれる親切なものでもあった。

最期の瞬間までそばにいて、感謝を伝えて、ケアができること。分骨用のキレイな瓶だって準備ができたのだ。私は幸せ者だ。

母の心・人格とお別れして、母の息を引き取る瞬間を見届けて、やっと気づいたことがある。それは「今、お母さんは、私の中にいるんだ」ってこと。

最期まで、あなたのそばにいさせてくれて、本当にありがとう。