先日、私より一回り以上も年上の方々、10人くらいとお話しする機会があった。ほとんどの方が初対面で、私は最上級に人見知りをしていた。1人ずつ順番に、1分少々話をしましょうという流れになって私の番が回ってくる。そのとき、私の隣に座っていたAさんに言われたのが、「手、震えてるよ」だった。
私が話し始める直前のことだったからか、全員の意識が私に集中していたようで、「手、震えてるよ」に対して笑いがどっと起こった。慌てて首の辺りまで持ち上げていた両手を下ろしたが、緊張と恥ずかしさは消えそうになかった。
手の震えを指摘したAさんは私の知り合いで、場を和ませて私の緊張をほぐそうとしてくれたのだと思う。大変ありがたかったが、私は感謝するなんて考えが浮かばないくらい緊張していた。
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人前で話すのが苦手な人は割と多いのではないか。そう思いたい。そうであってほしい。私もその1人で、少人数のグループの中で話すというようなときにもガチガチに緊張する。声がうわずったり、言いたいことがうまく言えなかったりする。手が震えるのも、あの日が初めてではなかった。仲が良くて、友達だと言えるような人に対しても少し緊張してしまう。緊張せずに話せるのなんて、家族くらいだ。
だから、初対面の年上の方々の前で話すなんて私にはレベルが高すぎるのだ。でも、流れを壊すなんてできない。集まっているメンバーの中では年下だけど、一応大学生。Aさんがつっこんでくれて和やかな雰囲気になったのだからと自分に言い聞かせて、私は話を始める。
テーブルを挟んで私の向かいの席に座っている方々の顔を見て、最後まで話せた。…ならよかったのだけれど、目が合うのが怖くて、でも下を向くのは良くない、とどこか冷静になっていた私は、向かい合っていた方々の頭上を見ながら話していた。
幸運なことに優しい方ばかりで、話し慣れていないのを露呈しているかのようなぐだぐだな喋りだったにも関わらず、皆さんとても穏やかな顔で聞いてくださった。話し終わったときにはあたたかい拍手までいただいて、この瞬間のために緊張していたのではないかと思うくらい、一気に張り詰めていたものが緩んだ。
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全員が話し終わった後、食事を楽しみながら自由にお話ししましょうという流れになった。本来なら、年下の私が率先して動かなくてはならないこの場面で、私はAさんにおんぶに抱っこ。だんだんと申し訳なさと恥ずかしさで溺れそうになってきて、それでも何もできない自分に苛立ちさえ感じていた。
私はここにいないほうがいいのではないかとさえ思い始めたとき、Aさんをはじめ私の周りにいらっしゃった方々が、私に話しかけてくださった。喉が渇いていないのに何度もグラスに口をつけたり、だんだんとお腹がいっぱいになってきたのに黙々と食べ続けている私の心のうちを見透かしたように。そして、私は再び緊張の時間と向き合うことになった。
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正直にいうと、具体的に皆さんと何をお話ししたかは覚えていない。内容のない話をしていたわけではなく、あまりに緊張しすぎていて、とにかく沈黙が生まれないようにということと失礼のないように気をつけることで精一杯だったのだ。しかし、ただ緊張していただけの時間ではなかった。皆さんのあたたかさを目一杯感じた、とても贅沢な時間だった。
緊張するのは悪いことだとばかり思っていたけれど、緊張するからこそ気づけることもあると思う。周りの人の優しさ、そして自分の無力さ。今回改めて無力な自分に気づくことができて、そんな私をフォローしてくれる人がいることにも気づけた。いつか、私が誰かの緊張をほぐせるような存在になりたい。