幼馴染Cは、毎朝決まってトーストを食べる。私が知っているのは2パターンで、1つはハムチーズ、もう1つはピクルス・オン・チーズだ。大抵はピクルス・オン・チーズを食べて、気分が変わるとハムチーズの時期に突入する。飽きたとか、その日はその気分だからとかではなくて、彼女の直感的なルーティンに組み込まれたものなのだと思う。

幼馴染のCは、地元が同じで、小学校1年生の頃から20歳を過ぎた今でも唯一無二の存在である。私は地元の大学に通い、4年になった今も変わらず暮らしているが、Cは親の仕事の関係で、小学校高学年の時点で東京に引っ越している。それでも私たちの仲が続いているのは、10代の頃に定期的に文通や電話をし、スマホを手にしてからはメールやLINEで連絡を続けてきたからだ。それから、引っ越したとはいえ、少なくとも年に一度くらいは会っていたというのも大きい。毎度久しぶりとは思えないほど居心地良く、ただくだらない話をして過ごしたものだった。

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私がCの朝食に注目し始めたのはつい最近、ここ2年くらいのことである。

彼女は東京で、母親と2人で暮らしており、私が東京に遊びに行く時は毎回、数日間泊まらせてもらっている。ちなみに、彼女の母親とも長い付き合いなので、私は親友だと思っているくらい仲が良い。

数日間滞在するとは言っても、毎日一緒に出かけたり、家で過ごしたりするわけではない。Cも、その母親も、私も、それぞれ予定があって、別々の時間に出かけたり帰ってきたりする。そのため食事を一緒にとることは稀だが、朝食の時間だけはいつも、3人揃って過ごすことが多い。

朝起きる順番は、Cの母親が最も早く、その次に私、そして最後にCである。どれだけ早く寝ようが、夜更かししようが、大体この順序に変動はない。おそらくCの睡眠の質は悪い。

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私が起床してリビングに行くと、コーヒーの香りがする。C母は毎朝ドリップコーヒーを淹れるのが日課なのだ。この家にいるといつも思うのだが、朝のコーヒーの香りとはなぜこんなにも満たされるのだろうか。

私がおはようと挨拶すると、彼女は大抵びっくりする。テレビかスマホのパズルゲームに夢中になっていて、こちらの足音には気づかないよう。毎日申し訳ないとは思うのだが、まだ寝ているCのために、最大限音を立てないようにしているので仕方ない。

私はすでにC母の手によって落とされたホットコーヒーを、適当なマグカップに注ぐ。そしてそれを片手に、C母の隣に座る。

この2人だけの時間は、人間関係の話や、哲学的な話をすることが多い。ぼーっとしてテレビのニュースを眺めていたり、スマホをいじっていたりすると、お互い自然と「そういえばさ」と最近あった出来事や自分の考えについて語りだす。そこから気づくと1、2時間くらい経っていたことも何度かあった。

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話が盛り上がって、目もすっかり覚めてきているころ、Cが眠い目を擦って起きてくる。おはようと3人で言い合って、Cもまたマグカップを取り出し、コーヒーを淹れる。私とCの母親が冷めかけたコーヒーを飲みながらだらだら話している横で、Cはコーヒーを一口飲み、せっせと朝食の準備を始める。

スライスチーズを乗せた食パンをトースターに入れ、タイマーのダイヤルを回し、その間にお気に入りのピクルスを瓶から取り出し、薄く切る。トースターから小麦の良い香りがしてきたら、食パンを取り出してその上にピクルスを載せ、またその上からマヨネーズをかける。ここまで、非常に慣れた手つきで一切の無駄がない。

毎日同じように同じものを食べているのに、Cはいつも満足げな顔をする。それも含めて、私はこの工程を見るのが好きだった。一口ちょうだいと言うと、少し不服な顔をするが分けてくれるし、「私のも焼いて」とお願いすると、自分でやれと怒りながらも用意してくれる。

私にとって至福の朝食といえば、お洒落なモーニングや、豪華な旅館のそれではなくて、この家の日常である。おそらくこの先も、こんな朝を想っては、ピクルス・オン・チーズ(とハムチーズ)のトーストが恋しくなるだろう。そして、Cと、Cの母親と、私の3人で過ごした時間の全てを愛しむだろう。Cと、Cの母親のモーニングルーティンが、いつまでも変わらないことを祈る。