20歳、キャリーケースを片手に降り立った地はニューヨークだった。
いつか訪れたいと、夢にまで見た場所。やっぱり輝いていた。

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物心がついた時から、なぜかアメリカに強い憧れがあった。スタイルが良くて、顔立ちがきれいで、英語が話せる人がいる場所。最初は、外国人という存在に惹かれていただけかもしれない。同じ人間なのに、自分にはない魅力をたくさん持っている彼らが、子どもの目には格好よく映った。おかげで、勉強はそれほど好きではなかったものの、中学、高校と英語だけは熱心に取り組めたし、それなりの成績を修めていた。偶然にも、高校1年生の冬に始めたバイト先のファミレスは、周辺に寺やホテルが多い立地にあり、外国人観光客がしばしば訪れたため実践する機会もあった。
「Have you decided your orders?」
決まり文句さえ覚えておけば、どうにか接客が成立する。英語で話そうとするだけで、外国人は好感を抱いてくれたし、臆せずに挑戦できた。なんて良い人ばかりなんだ。さらに印象が良くなった。

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だからかもしれない。当時の私は、日本人が好きではなかった。という自身も、生真面目で、調和を慮るあまり人の目を気にしてどっちつかずの意見しか発言できない、ザ・日本人な性分で、自分が大嫌いだった。世界の中心であるアメリカ、特にニューヨークにはいろんな人種の人がいて、自由を重んじていて、何より流行の最先端を行っている…。海外の歴史や文化を学ぶうちに定着したイメージから、淡い期待を抱くようになった。「ニューヨークに行けば、自分を変えられるかもしれない」。いつか自分の足で街を歩き、見たいと夢みるようになった。
思いは強くなる一方で、旅費を考えると、すぐにはできないと分かっていた。ひとり親家庭で、大学の授業料を払うので精一杯の家計に、夢に費やす余裕なんてあるはずがなかった。
こうなったら、自分で何とかするしかない。往復5時間近く要する通学時間と授業の合間を縫って、アルバイトに明け暮れた。常時、3つの職場を掛け持ちして、月10万以上の稼ぎを目標にシフトを組んだ。睡眠不足と疲労で、毎日ふらふらだった。授業中、静かな教室でいびきをかいて居眠りしてしまったこともあれば、飲食店でのバイト中、誤ってミキサーに手を突っ込み、けがしたこともあった。どんなにボロボロになっても、諦めなかった。

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大学2年生の秋、ついに資金が確保できた。偶然にも、演劇好きな友達がニューヨークに行きたいと話を持ち掛けてきた。運命を感じた。とんとん拍子で話が進み、その冬、実現した。
友達と海外旅行するのも初めてだった。胸のざわつきは収まらなかった。おしゃれで壮大な建物が並ぶ街並み。ここでは外国人になる日本人がいても、全く違和感がないほど多様な人種の人が行き交う。カフェのショーケースには、テレビでしか見たことのないようなカラフルなケーキが並んでいる。レギュラーサイズのカフェラテを頼んだはずなのに、手渡されたカップは、ラージサイズと間違えたかと錯覚するほど大きい。スパイダーマン姿の人が写真撮影を求めてきたかと思いきや、急に撮影料を要求してくる。たった5日間の滞在だったが、刺激的だった。

帰国後も、憧れは消えなかった。気付けば、ニューヨークで生きる女性のエッセイや自己啓発本を手に取るようになっていた。「いつか、この街に住みたい」。結婚し、子どもが産まれて家族がいる今、かつての願望は薄まりつつあるけれど、夢は諦めなければ叶う。あの街は、私に教えてくれた。どんなに辛くても頑張れるようになった。
今の新しい夢は、本を出版すること。どんなジャンルの作品にしたいか、定まっていないものの、それこそ誰かの夢を後押しできるような内容にしたい。きっと達成できると信じて、書き残しておく。